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ステラー海牛を巡る物語(6)孤高の博物学者 [海牛]

久々にステラー海牛シリーズです(いっぱいサボって間が空きましたが)。

本日はステラー海牛シリーズを忘れないでいて下さる少数の方に向け、
博物学者ゲオルグ・ウィルヘルム・ステラー(Georg Wilhelm Steller)
について、ニューヨーク州立大学教育専任特別名誉教授Gerry Rising
の「NATURE WATCH」というHPの記事をご紹介ということで、
お送りしようと思います。

元記事 
http://www.acsu.buffalo.edu/~insrisg/nature/nw99/steller.html

 では、はじめます。

=====ライジング先生の記事====================
 ゲオルグ・ヴィルヘルム・ステラーは、1742年6月初めに北米本土を探るためロシアのカムチャツカ半島から出帆したビタス・ベーリングの船、聖ピョートル号に配属された33歳の博物学者だった。


 ステラーの伝記作者の1人は、彼を「抜かりない知能を備えた、迎合することのない孤高の人物で、頑強なひたむきさ、一発触発的な気質、執念深さで、行うべき責任に対しては、どんな障害にもほとんど無謀なまでの決断で判断し行動した。しかし、基本的に憐れみ深く、控え目で、陽気な人物であった。」と記述している
 この大変好意的な言いようにもかかわらず、ステラーが「気の良い仲間」ではなかったとは、この記述の中に窺い知られる。実際、彼は聖ピョートル号の船員を、「彼らは、航海の方法や科学、洞察力がすべて自然に得られるかのように思い、何を言われようと、侮り、嘲笑し、風に向う。」と軽蔑していた。

 ステラーによる船員への低評価が確かなものであったことを示唆する明瞭な証拠がある。
 アリューシャン列島とアラスカの半島に沿って100マイルほど南に離れて航海していて、その間船長のベーリングは疲弊し病気で殆ど航海を指揮しなかった。そして船員たちはステラーがすぐ北に陸見つかるという動かしようのない証拠をつきつけても受け入れようとしなかった。まあしかし、ついには、船は北へ舵を取り、そうしてそれによって7月16日に、山脈は見つけられたのである。

 ベーリングは、このアラスカ本土への最初の乗り入れを、乗組員と共に喜ぶことはなかった。彼はステラーに予言のごとく言った。
 「今、われわれは全てを発見した気になっている。だが、われわれはどれほど遠く故郷を離れたことか。そしていかなる困難がまだ訪れるかもしれない。われわれに冬を越せるだけの補給は受けてはいないのだ。」

 7月21日、不安にかられてベーリングは、カムチャツカへ引き返すことを命じた。だが8月末日になっても、彼らは、母港の1500マイル以上東のシューマギン島(そこに死んだ乗組員にちなみ命名された)に到着したに過ぎなかった。
 乗組員が壊血病に苦しんでも、ステラーはそこの船の給水改善を説得しえなかった。そして、原住民との対立があり、彼らは再び西へ向った。

 嵐に悩まされ、水夫たちが死に、乗員は自信を失った。
 そして既に冬となり、11月5日、船はベーリング島達したのである。
 困ったことに船はかろうじて操縦することができる程度で、乗組員はどうにかそれを浜に乗り上げ上陸することとなった。

 かつて孤立し嘲られたステラーが、ここで指導的役割を引き受ける。
 彼は、悲劇的な物資の中から利用可能なもので避難小屋を建造するのを手助けし、狩りをし、料理をし、壊植物を集めて血病を治すためにそなえた。

 このような貢献にもかかわらず、船長のベーリングおよび他の多くの水夫が死んだ。
 端的に、もともとの乗組員78名のうち46名だけが、その恐ろしい北の冬を越えて生き延びたのである-アザラシやキツネ、カワウソ、そしてこの博物学者の名を冠した絶滅した太平洋域の海牛、即ち「ステラー海牛」の肉を食べて。

(ステラーの名を冠した生物は他には、カンムリカケスSteller’s JayとオオワシSteller’s Sea Eagle がある。) (春分注:他にもう1つ、トドSteller’s Sea Lionがいます。)

 砂に深く埋った聖ピョートル号の一部を利用し、脆弱な船を建造するために、上級船員スウェン・ウェクサール(Swen Wexall)中尉および残りの乗組員は次の夏全部を費やした。
 そしてこの脆弱な船でカムチャツカ本土へ200マイルを航海することには、彼らが母港を発ってから14か月の長きを要することになったのである。

 ステラーが助けた聖ピョートル号乗組員の感謝の証として、彼らの多くが、航海中に集めた高価な毛皮の一部を彼に譲り渡している事実がある。

 ステラーはそれからわずか4年しか生きることはなかった。
 しかし、その僅かな間に、彼は旅をし、シベリアおよび北太平洋の動植物について広範囲に記述したのである。

 今日めったに思い出されることのない、ゲオルグ・ステラーは、確かに世界の博物学の殿堂入りする人物なのである。

==================================

なおこのHPは出所を明らかにしての引用はOKと書いておられました。
ありがたく引用いたします。 サンキュー、プロフェッサー!

(英語で苦労し続けている私です。多少の誤訳はご勘弁下さい。)

 

なお、もし、まだステラー海牛についての過去記事をご覧になっていない
方がいらしたら、以下の2つの記事をご覧頂ければと思います。

ステラー海牛を巡る物語(2) ExploreNorthの記事(前編)
ステラー海牛を巡る物語(3) ExploreNorthの記事後半)

そして、更にご興味を持って頂けるならば、他の海牛の記事もごらん下さい。

 

 

さて、多少私の感想も添えていいものと思います。

私自身がステラーに似た人間であると言うつもりはないです。
しかしそれにしても、少し(あるいはかなり)重なる部分を見出し、
この人物に親しみを覚えずにはいられません。

すでに示しましたように、この、死の島にあって、ステラーは
ステラー海牛やその他の動物について、姿や生態について詳細に
記述しました。そこも私にとって大きな魅力です。

残念ながら、ステラーがどんな顔つきであったか絵も写真も
見つけられません。もしかするとないのかもしれません。

ただ、この人物についてのもう少し別の記述もございます。
それはまた次の機会に書こうと思います。




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コメント 17

ステラー海牛ネタ待ってました。まだまだ続きそうですね。
楽しみです。
by (2006-01-26 00:47) 

せつこ

ステラーは、冒険家に思えてきます。
壊血病とは歯茎から血の出る病気?それが酷くなると他からもでるのかしら?変なこと聞いてすみません。
by せつこ (2006-01-26 11:02) 

Silvermac

ViolaMacです。
ステラーの物語 初めて知りました。
by Silvermac (2006-01-26 16:06) 

春分

kijimu-naさん、
> 楽しみです。
ありがとうございます。でもそろそろネタ切れとは思います。
どこか評判のいい方向に別の展開をしようと思います。
冒険博物学者の路線はどうでしょう?
kijimu-naさんはジュゴンネタへの展開の方がいいでしょうか。

せつこさん、
> 壊血病とは歯茎から血の出る病気?それが酷くなると他からも~
私などはビタミンC欠乏症とだけの理解で、あまり気にもとめませんが
かつては船乗りの死因のトップともされる死病でしたね。病状も少し調べましたが、怖いので書きません。

ViolaMacさん、
> ステラーの物語 初めて知りました。
うれしいです。また1人、知らしめた、達成感?
更に興味を持ってステラー海牛のことも見て頂ければ、ありがたいです。
by 春分 (2006-01-26 18:33) 

ziziblog

わー大変!不勉強な私には荷が重いです(笑) ステラーさんの名前だけは知っていましたが、いまひとつでした。海牛とは、ジュゴンのような動物でしたね、絶滅した!それにはステラーさんが大きく関わっていたということですか? ありがとうございます、知りたいので、後で過去の記事も読ませていただきますね。
by ziziblog (2006-01-27 06:56) 

春分

ziziさん、
不勉強などと、ご冗談を。
私はたまたま知っていましたが、この人間とこの海牛たちについてご存知である方はそう多くはないでしょう。
「大きく関わっていたと」・・・・確かに。悲しいことに。
よろしければ過去記事をご覧下さい。
by 春分 (2006-01-27 08:23) 

lingnam

日曜から水曜日まで道北を旅していましたが、
海をみながらステラー牛を思い出しておりました。
この海のもっともっと、うんと北にかつて生きていたんだな~と。
by lingnam (2006-01-27 14:07) 

春分

lingnamさん、
北の空は荒れていたようですが、北の海は如何でしたでしょうか。
そちらのブログにも書きましたが、私も最北の地にまいりました。
写真を楽しみにさせて頂きます。
もしかして海牛の霊が写って・・・ませんね。はい。
by 春分 (2006-01-27 18:29) 

shareki

知らない人でした、探究心と責任感の強い人ですねぇ。
名を残す人は違いますね。
少し勉強してみます。
by shareki (2006-01-27 18:53) 

ステラーの物語、初めて知りました。
私は推理小説は随分詠んできましたが・・・・・。
これから少し読んでみようと思います。
by (2006-01-27 19:45) 

偉大な方の物語は必ずしも有名ではないのですね。殆どこの方のこと知らないですものね。
by (2006-01-28 13:18) 

春分

渋樹さん、
ステラーのプロフィール記事をもう1つ書こうと思ってますが、たぶん、この人は学問には優れていても、人間的には30過ぎたこのときに成長したのだと思います。しかし、・・・後は「孤高の博物学者2」にて。

mamiiさん、
mamiiさんは行動的で、パソコンにも強く、勉強意欲も高いですね。
まったく失礼とは存じますが私のお年寄り像が改変されて行きます。

mimimomoさん、
> 偉大な方の物語は必ずしも有名ではないのですね。
ステラーはまだいい方なのでしょう。無名の科学者は多いと思います。
今もまたそんな人たちがいっぱいいますでしょう。効率優先でそんな方たちへの尊敬まで切り捨てるようなことがなければいいと思いますね。

アッキーさんも、nice!ありがとうございます!

何のためにこんなことを書いているのかよくわからないのではありますが、ステラーのこと、そしてステラー海牛のことを知って頂けることは、うれしいことです。よろしければ、現実世界のお友達との話題にもお使い頂ければと思います。
ということで、またネタ提供の仕込みをしよう・・・。
by 春分 (2006-01-28 17:15) 

野うさぎ

ステラー海牛の事は、読ませて戴いていましたが
ステラーさんという人がいたんですか?間違って読んでいたのかも
知れません。暇を見て読み直しますね。
by 野うさぎ (2006-01-29 21:25) 

春分

ステラーさん、いらしたんです。ドイツ人でロシアで活躍した博物学者。
日本のトドやオオワシもステラーのトド、ステラーの海鷲の名がついてます。最初は自分の名前をつける目立ち根性の人かと思いましたが、どうも後の人がその名で呼んだのですね。
野ウサギさん、忙しそうですが、お手すきのときにご覧下さい。
by 春分 (2006-01-29 22:44) 

yoku

しばらく用事でブログを留守にしている間に
ステラーさんを取り上げていたのですね。
早速、寄らせて頂きました。若き日のステラー。
顔こそ分かりませんが、きっと素敵な冒険肌の
学者ではなかったのでしょうか?
by yoku (2006-02-01 17:33) 

春分

思えばyokuさんも旅する研究家ですね。
更新が途絶えてましたし、長旅かお忙しいのかだと思っておりました。
by 春分 (2006-02-01 18:26) 

Dublin Flats

The site is very nice.
by Dublin Flats (2006-03-21 20:09) 

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