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宝暦の仏巌塔 [なごり]

いつもの散歩道の、雑木林を抜けた先の、田んぼの横に小さな石塔があります。

この石塔、他の写真を撮ったときに写っていまして、
albireoさんが「あれは何か?」と投げかけてくれておりましたので、
わからないなりに、よくよく観察してみました。

最初に書かれた文字は、梵字です。釈迦如来を示す梵字「バク」がかかれています
便利な世の中で、「梵字」で検索すると、各仏様の文字が載ったサイトがありました。

その後は、「奉納拾部○○仏厳塔」と書かれているようです。

仏巌塔とは何かわかりません。でも何にしろ、仏様に祈ろうというものなのでしょう。
それ以上はわかりませんが。

 

左側面には「願主 當村松沼○○」とあります

地域に根ざしていないので、近所の松沼さんがいるかどうかは
わかりません(ゼンリンの地図があればわかるのだろうけども)。

右側面には「?宝暦十二年十月廿七日建立」とあります。


宝暦は1751年から1763年までの期間だそうです。
とすれば、1762年ということになりますね。
私は明治くらいかと思っていましたので、
思ったよりもだいぶ古いものでした。

宝暦という時代は、将軍徳川家重と家治の時代だそうです。
日本史をとってない人には馴染みの地味な将軍でしょうね。
私も日本史はとってませんので、わかりませんでした。
家重は、吉宗の子供です。

家重は病気でうまく口が聞けなかったことで、唯一聞き取りが
できた大岡忠光を取り立て、御用人政治の悪しき流れを作った
ように言われているようです。
ただ、知能障害は無かったとのこと、また骨格分析では、
歴代将軍中で最もハンサムなはずだったとか。
かつて西田敏行がやった大河ドラマ『八代将軍吉宗』では
中村梅雀が演じてました(後の活躍を思うと出世作でしたね)。

宝暦元年までは実際上は吉宗が実権を握り、宝暦11年に
家治に将軍を譲っていますから、宝暦は家重とほとんど重なり
ます。


そして他に宝暦が話題になるのは、「宝暦の飢饉」です
江戸の四大飢饉は「寛永(1642~3年)」、「享保(1732年) 」、
「天明(1782~1787年)」、「天保(1833~1839年)」で、
宝暦は入っていません。
けれど、北日本の三大飢饉は、「天明」「天保」「宝暦」で、
「宝暦の大飢饉(1753年~1757年)」も入るそうです。
飢饉は何年も続くのですね。想像するのも、恐ろしいことです。
東北がそうなら、北関東も好ましからぬ様子ではなかったかと
想像されます。

宝暦の飢饉は宝暦3年~7年のことですね。
この仏巌塔は12年の建立ですが、私は、飢饉で亡くなった人を
思い立てた塔かと思ったりします。ちょうど七回忌とかかなと。

東北ほどではなかったものの、不作に苦しみ死ぬ人も出た年を
とりあえず過去のものとできる程度には時がたち、生き残った
さまざまな思いから、立てたのではないのかなと。

もちろん、本当のところはわかりません。
でも、みなさんは、どう思われますか?

それにしても、回りを見回してみると、
栃木県は、いろんなものが残されています。

 

少し、地味に明るくはない話題に仕上げてしまいましたので、
また、おまけを。

いや、何だかかわいかったので。
やるな、群馬も。


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コメント 36

はてみ

考えてみると、この石塔のようなものは意外に身近にありますが、
そのわりに、どういうものなのか全然知りませんね。
やはり時期的に供養塔なのでしょうか。
中村梅雀の家重はけっこう記憶にあります。
ところで前記事、nice!ランキングに載りましたね。カニのちからかな。
by はてみ (2007-12-03 23:48) 

nicolas

街の中にも古いものじっと観察してると、なんか発見したりして
その土地の歴史とか、思わず知ったりします。
石塔や道祖神やそういうのは詳しくないですが、こういうのも
調べ始めると面白そうですねー
まるごと群馬♡(* ̄ω ̄) 後ろの駅構内が映ってるのもいいですねー
by nicolas (2007-12-03 23:53) 

atom

250年近くですか、歴史がありますね。
by atom (2007-12-04 02:19) 

おはようございます^^
春分さんの周りにはまだまだそういうものが残っている土地があるのですね~
この辺りだとお墓すら新しいのが多いです。
その当時の人の思いが伝わるような気がしますね。
春分さんの考えは正しいかも知れません。6~7年《今の人の感覚より永いでしょうから》かかってようやく気持ちが立ち直ってきたと言うところでしょうか。
by (2007-12-04 05:26) 

Silvermac

今日は歴史の勉強になりました。わが家からほど遠からぬ所にも古い石塔があります。
by Silvermac (2007-12-04 06:10) 

キタノオドリコ

路傍の石塔から話が広がりましたねー、尊敬です。松沼さんも浮かばれるな。
春分さんの推理、当たっているかも。
中世には板碑(石製卒塔婆)があって、梵字を配し7の倍数で供養しています。この時代には廃れていますが、流れをくんでいるように思うなぁ。墓石の古い形態にも見えてくる。
それにしても宝暦とは意外に古いですね。
あ、梅雀の家重、覚えてます。
by キタノオドリコ (2007-12-04 07:04) 

sakamono

なんとなく見過ごしてしまうような風景ですが、さすがです。青梅の実家の方にも、古い石碑のようなものをいくつか見かけた覚えがあります。調べていろいろと分かるのも、興味深いことですね。「北日本の三大飢饉」というものがあるとは知りませんでした。最後に、アジのあるかわいいダルマ^^。
by sakamono (2007-12-04 07:18) 

moonrabbit

自分の住んでいる八王子も近所の府中も、無茶苦茶歴史が古いところであることに最近実感として気が付いた自分です。(--;
北海道はアイヌ文化を除いて歴史が浅いので、なんとなく憧れみたいな物があります。
それにしても、溢れる知識。いつも感心しますです。

可愛い系・ほんわか系のキャラが増えていますね。
だるまの中からネコキャラが出てきて欲しいです。(* ̄ω ̄*)ポッ
by moonrabbit (2007-12-04 07:34) 

enosan

私は歴史に弱い。 この石塔一つでこれだけ調べられたことに敬服します。
by enosan (2007-12-04 10:05) 

sanjinsai

色々考えさせられる石塔ですね。
by sanjinsai (2007-12-04 10:37) 

畑の帽子

粗末に扱ってはいけない石塔だと 思いました。
  宝暦と聞いて「宝暦の治水」が思い浮かんだ私です。
by 畑の帽子 (2007-12-04 10:39) 

toraneko-tora

こうゆうのって、田舎に行くと多いんですよね・・・・・・でも、たいていはそこに立っている謂われは解らないんですよね
by toraneko-tora (2007-12-04 11:00) 

ころくま

何気ないところにずいぶんと古い物があるんですね。
by ころくま (2007-12-04 12:51) 

めもてる

よく調べましたね。 石塔から春分さんの推理と解説で江戸時代の歴史を教えていただきました。
by めもてる (2007-12-04 18:07) 

はる*口角

カラスウリかどうか例の謎の実upしてみましたが
いったいなんでしょうか??
by はる*口角 (2007-12-04 18:39) 

昔のものが、こういう形できちんと残っているのってすごいなぁと思います。
周辺住民の方々の力があってこそですね。
by (2007-12-04 19:38) 

chichiの母

家重の事は漫画で読みました。
随分綺麗な形で残されているのでうsね。
最後の達磨…写真よりも春分さんの書き方が
楽しいです。
by chichiの母 (2007-12-04 21:10) 

春分

はてみさん、
> 中村梅雀の家重はけっこう記憶にあります。
たいしたものでしたね、あれは。
でも骨相的に歴代一位のハンサム役として適当であったのかどうかとも。
> ところで前記事、nice!ランキングに載りましたね。カニのちからかな。
カニの力は大きいと思います。ひげ爺さんは好みが分かれますからね。
それにしても、いつも力の抜けた記事がランキング入りします。

にこちゃんさん、
> 石塔や道祖神やそういうのは詳しくないですが、こういうのも
> 調べ始めると面白そうですねー
そうですね。でも、たぶんきちんと調べている人がいるのでしょうね。
ネットは広大ですが、ネットにかからないことはもっと広大で。
マニアックな学問がまだまだあるはずですからね。
> まるごと群馬?(* ̄ω ̄) 後ろの駅構内が映ってるのもいいですねー
なんだかいいでしょ。携帯電話のカメラですしね。こんなもんです。

atomさん、
> 250年近くですか、歴史がありますね。
もろそうな石で出来てますが、そんなに長く字も残っているとは驚きです。
やっぱり大切にされたのだろうと思います。田んぼの主が働いていたら、
どんな謂れか聞いてみようかとも思いますが、会いません。

mimimomoさん、
> 春分さんの周りにはまだまだそういうものが残っている土地があるのですね~
> この辺りだとお墓すら新しいのが多いです。
千葉はそうなのかもしれませんね。
東京の会社の側のお墓はマンションになってしまいました。お墓も残れませんね。
後50年もたったなら、何が古い町の痕跡として残るのでしょうね。

SilverMacさん、
> 今日は歴史の勉強になりました。わが家からほど遠からぬ所にも古い石塔があります。
歴史がありそうですね。弘法大師が立てたとかかもしれませんね。

キタノオドリコさん、
> 春分さんの推理、当たっているかも。
> 中世には板碑(石製卒塔婆)があって、梵字を配し7の倍数で供養しています。
> この時代には廃れていますが、流れをくんでいるように思うなぁ。
> 墓石の古い形態にも見えてくる。
おお、そんなものですか。単純にお墓なのかもしれませんね。それにしても古いですが。
> あ、梅雀の家重、覚えてます。
あの辺からテレビで見るようになったと思うんですが。
最近は「信濃のコロンボ」の役で見ますが。

sakamonoさん、
> 青梅の実家の方にも、古い石碑のようなものをいくつか見かけた覚えがあります。
> 調べていろいろと分かるのも、興味深いことですね。
青梅もいろいろあって良さそうなところですしね。
面白いかもしれませんね。でも、字を判読するのは大変です。判れば楽しいですが。

moonrabbitさん、
> 北海道はアイヌ文化を除いて歴史が浅いので、なんとなく憧れみたいな物があります。
それはありますね。神戸から明石に用事で電車に乗ったとき、源氏物語に出てくるような地名が
つらなっていて、歴史ある地を思い知らせれました。
アイヌ文化も地名などには多く痕跡を残していますが、形ある史跡は少ないですね。

> 可愛い系・ほんわか系のキャラが増えていますね。
> だるまの中からネコキャラが出てきて欲しいです。(* ̄ω ̄*)ポッ
あー、なんだか猫目ですねー。
ちなみに、ひこにゃんのことですが、あれは作者に金を積んで長く残して欲しいですねー。

enosanさん、
> 私は歴史に弱い。
あ、そうでしたか。吉宗のことを語られるかと思っておりました。
実を申せば私は反吉宗派です。この人は発明考案禁止令を出してまして、飢饉もそのせいで
拡大したとの話もあります。技術を生業とする者のはしくれとして許しがたい将軍です。

sanjinsaiさん、
> 色々考えさせられる石塔ですね。
ふつうは、それほど考えないとは思いますが。
いつも通る場所でして。何かが囁きましたかね。

畑の帽子さん、
> 粗末に扱ってはいけない石塔だと 思いました。
そうですね。ご覧の通り、とてもきちんと扱われている様子です。
> 宝暦と聞いて「宝暦の治水」が思い浮かんだ私です。
おお。日本史を取っていらっしゃいましたか。

toraneko-toraさん、
> こうゆうのって、田舎に行くと多いんですよね・・・・・・
> でも、たいていはそこに立っている謂われは解らないんですよね
toraさんも欧州でいくつか石碑を撮っておられましたね。
田舎に多いのですね。都会のはビルを建てるときに壊されたのでしょうね。

ころくまさん、
> 何気ないところにずいぶんと古い物があるんですね。
予想外に古くてびっくりです。普通に田んぼにあるし、やわらかそうな石だし。不思議です。

めもてるさん、
> 石塔から春分さんの推理と解説で江戸時代の歴史を教えていただきました。
私も、調べて見て、馴染みの薄い家重と家治のことや飢饉のことがわかりました。

utaさん、
> カラスウリかどうか例の謎の実upしてみましたが
> いったいなんでしょうか??
回答しておきましたが、たぶん「雑草メロン」です。

ちびっとさん、
> 昔のものが、こういう形できちんと残っているのってすごいなぁと思います。
> 周辺住民の方々の力があってこそですね。
まあ、あまり人は多く住んでいない辺りですが、大切にされているようです。
by 春分 (2007-12-04 21:11) 

春分

chichiの母さん、
> 家重の事は漫画で読みました。
え、そんな通なマンガがありましたか。
> 最後の達磨…写真よりも春分さんの書き方が
> 楽しいです。
ま、写真ブログではないですし。携帯電話のカメラだし。
でも、文章は、普段のままを書いているだけでして。
by 春分 (2007-12-04 21:16) 

yoku

遅くなりましたが、石の塔と後ろの田んぼの稲との
兼ね合いがなんとも言えずいい。そして風化している
感じもいいですね。本当に石っていいですね。
by yoku (2007-12-04 21:28) 

aya

古い石塔だったんですね、でも 削って文字を彫ったような感じですが、
修復したのかしら、。古いものは残していきたいですね(^^)v
by aya (2007-12-04 21:28) 

michan

石碑を一つ一つ見たら、いろんな歴史がありますよね。
五稜郭公園の中にもたくさんありますよね^^
函館散策しながら、今度一つづつ調べてみようかな・・・^^;
by michan (2007-12-04 22:02) 

渋樹

風化具合も良い感じで、歴史好きにはたまりません(笑)
冷蔵庫も無く、食物の備蓄も困難な時代、
一期の不作は命取りだったでしょうねぇ。
by 渋樹 (2007-12-04 22:07) 

ゴーパ1号

カテゴリの「なごり」が素敵ですね。
大河観てました。結構はまったシリーズでした。
1762年はモーツァルトが6歳。そんな時代なのですね。
by ゴーパ1号 (2007-12-04 22:23) 

すー

高校の時は日本史をとっていたのに、全然覚えが・・(^_^;)
大河ドラマとか見ていると、忘れていた記憶が蘇ってきます。
ああ〜あれだけ勉強したのに・・・もったいない。
by すー (2007-12-04 22:38) 

puripuri

春分さん、よくぞ此処まで調べられました。松沼さんの子孫がその地にお住まいに
なられているのでは、、と思います。裏側が綺麗に、、修復されたのでしょうか。
大河ドラマ「吉宗」の時は見ていました。梅雀さんの家重、、どうしてなの?
演技かな?と思ったのですが史実に基づいていたのですね、、納得。
by puripuri (2007-12-04 23:31) 

きまじめさん

鎌倉あたりを歩いていますと、古い石塔を目にしますが、
私なら「あ々古いものだな」で終わっていましたが、
春分さんのように疑問を感じて調べていくと、様々な想像、推察が膨らんで、
思いのほか面白い歴史ドラマが浮かび上がってくるかも知れませんね。
by きまじめさん (2007-12-05 00:57) 

さすが、、、春分様、、、江戸時代の称号は調べた事も無いです、、、パラパラとしか、、、。石塔のハスの台座が気にかかります(^・^)
by (2007-12-05 01:03) 

ずいぶん古いものなのですね。
田んぼの中にぽつんとあるのでしょうか?
いい風景ですね。
by (2007-12-05 21:56) 

せつこ

石塔一つから色々歴史が広がりますね。
私はダメですが、我が家は日本史大好き家族です。
主人に家重のことを聞いたら、
「本を読むと、寝小便がいつまでも治らず困ったとか、将棋が上手く、右にでる者がいなかったとか、お側用人しか話す言葉を理解できなかったとか、書いてある」と教えてくれました。
by せつこ (2007-12-05 22:04) 

ムーミン

中村梅雀さんの家重、見ました。
宝暦、その頃なんですね。
古い石搭なんですね。
by ムーミン (2007-12-05 22:28) 

berry

とても古い石搭なのですね。
きちんと調べられる春分さんもすごいです!
こういう歴史を語るものは遺していきたいものですね。
by berry (2007-12-05 23:01) 

さまざまな祈りが込められた石塔なんでしょうね。
昔の人の思いも、現代人と同じ。
人は人なんですよね。
by (2007-12-05 23:03) 

歴史に思いを馳せながら、心は徳川時代に旅しました。

最後の「群馬県」を見て、脈絡もなく思い出したのですが、栃木のスーパーで売っている「分福もやし」の袋に描かれているタヌキさんがお気に入りでした。
画像はスキャンして、今でもPCに記憶させています。
by (2007-12-05 23:08) 

春分

yokuさん、
> 遅くなりましたが、石の塔と後ろの田んぼの稲との
> 兼ね合いがなんとも言えずいい。
少し前の写真を使いましたので、ひこ生えが青々としてますね。
> そして風化している感じもいいですね。本当に石っていいですね。
石はいいです。この石もずいぶんやわらかそうです。素朴です。

ayaさん、
> 修復したのかしら、。古いものは残していきたいですね(^^)v
どうでしょうね。250年にしてはずいぶんしっかりしてますしね。

michanさん、
> 五稜郭公園の中にもたくさんありますよね^^
ありますね。
「男爵芋を讃う」くらいしか読んでませんが。

渋樹さん、
> 風化具合も良い感じで、歴史好きにはたまりません(笑)
喜んでもらえてよかった。
> 一期の不作は命取りだったでしょうねぇ。
そうですね。
ですが、それぞれ複数年続いていますし、
救荒作物などで命を繫いでいたのでしょうか。

ゴーパ1号さん、
> カテゴリの「なごり」が素敵ですね。
はい。新設しました。わかって頂けましたね。
ついでに過去ネタ2つを「なごり」分類に変えました。
> 1762年はモーツァルトが6歳。そんな時代なのですね。
思えば、ステラー海牛の絶滅がそんな頃ですね。

すーさん、
> 高校の時は日本史をとっていたのに、全然覚えが・・(^_^;)
あれ?いけませんね。
でも、私も世界史はそれほど残っておりません。得意だったのに。

puripuriさん、
> 大河ドラマ「吉宗」の時は見ていました。梅雀さんの家重、、どうしてなの?
> 演技かな?と思ったのですが史実に基づいていたのですね、、納得。
私も最初「ずいぶん斬新な演技だな」と思ってました。

きまじめさん、
> 鎌倉あたりを歩いていますと、古い石塔を目にしますが、~
鎌倉は宝庫でしょうね。
出かけるには遠いのでなかなか行きませんけども。
栃木県も足利など古い町がありますが。

ハギマシコさん、
> 石塔のハスの台座が気にかかります(^・^)
また宿題が出ましたね。次は台座のことを調べましょうか。

kijimu-naさん、
> 田んぼの中にぽつんとあるのでしょうか?
> いい風景ですね。
道端ですけども、その辺りは田んぼと畑と雑木林と、
田舎風景のパッチワークみたいなところですね。

せつこさん、
> 私はダメですが、我が家は日本史大好き家族です。
いいですね。
> 主人に家重のことを聞いたら、
> 「本を読むと、寝小便がいつまでも治らず困ったとか、将棋が上手く、~
「小便公方」と呼ばれていたようですね。

ムーミンさん、
> 中村梅雀さんの家重、見ました。
みんなよく憶えてますねー。などと、私も憶えていたわけですが。

berryさん、
> とても古い石搭なのですね。
ええ、驚きました。
先日書いた養蚕記念の碑が比較的新しかったので、いい対比になりました。


RAKIさん、
> さまざまな祈りが込められた石塔なんでしょうね。
250年分の祈りがこもってますね。
> 昔の人の思いも、現代人と同じ。
> 人は人なんですよね。
そう思います。古い本を読むとそんなことを思いますね。

誠大さん、
> 歴史に思いを馳せながら、心は徳川時代に旅しました。
いい旅にご案内できたならいいのですけども。
> ~栃木のスーパーで売っている「分福もやし」の袋に描かれている
> タヌキさんがお気に入りでした。
> 画像はスキャンして、今でもPCに記憶させています。
いつか何かのおまけででも、アップして頂けるとうれしいですね。
by 春分 (2007-12-06 20:43) 

92san

石搭ひとつで春分さんにかかるといろいろのことが解かるのですね、私なんかあ~石搭が有るな~って感じるだけですね。
by 92san (2007-12-09 17:56) 

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