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なごり (キャノン倶楽部TB写真展9月のお題「なごり」の載せ残し) [なごり]

私の通勤路の道端にこんな板碑が立っています。

読めませんよね。

それでも、大きな文字は、「養蚕記念」と書かれていることがわかります。

9月に載せ損ねた理由は、多少は読んで載せないとと思ったことで、
時間がなくなったという理由ですが、その後、地道に読んで、(多少の間違いはあると思いますが)
書き出して見ました。以下の通りです。


維持大正八年三月養蚕組合ヲ設立シ組合員桑園ヲ新設シテ専ラ養蚕業ニ
励ム爾来茲ニ二十三星霜其間幾多困難ノ生ズル此有 組合ノ運営将ニ憂慮
セラル然レ共組合員ノ至誠ト團結ハ其都度能ク困難ヲ克服シ遂次成績ノ
向上ヲ計リ致繭實績ノ成果ヲ得ルニ至ル
思バ組合長ガ多年ノ経験 熱誠指導ハ督効員ノ共鳴ト献身的努力ヲ併セ
組合員不断ノ協心戮力ハ共存言榮ノ一丸ヲ成シ以ニ組合ノ発展ヲ來セ
時偶 大東亜戦争ニ際會ス今ヤ養蚕業ハ帝國ノ重要産業タリ吾人ノ微業
正ニ國策ニ慎慶セルヲ喜ブ益々一致協力職域奉公ノ誠ヲ盍サントス
茲ニ組合員相謀リ碑ヲ建ニ以ッテ此ノ感激ヲ記念ス
皇紀二千六百ニ年昭和十七年五月二日     篆額撰文篠崎喜一郎書

 

要するに、
「大正8年に組合を作って、その後の困難を皆で乗り越えて
養蚕業をしてきたが、ここに大東亜戦争が始まった。
養蚕業は国策産業であり、私達は帝国に貢献できる。
この感激をここに記念する。」 
と。

このあたりで、どうやら桑の葉のような低木を見ることがありましたが
(コウゾかもしれないとはおもいつつ)、ほんの少し前に、養蚕が
盛んに行われていたわけですね。


今は、わずかなクワの葉を気に留める者もないと(私は例外ですが)。

 

秋は、しきりに進行中。
  

 

なお、あえてひどいことを書こうと思いますが、
「大東亜戦争」のワードにオートマチックに「戦争は許してはいけませんね」とコメント頂くのは
悲しいのでご勘弁下さいね。それは思考停止ワードです。
時代の空気が言わせていることを、そのまま繰り返して安心しているだけです。
それは、開戦に喜び板碑まで建ててしまった養蚕組合の皆さんと同じに見えます。

今もあちこちで起こっている「内戦」は戦争ですよね。
自分も同じ時代に生きて、それを許している自分にもまた多少の責任があると思います。
小さくても、できることをしないとね。
(また、もう1人の自分を責めてしまったかもしれません。)

コメントを読んでわかりましたが、この部分は、余計なことを書いただけでした。
養蚕組合の皆さんは、「微業」と謙りながらも自分達の仕事に誇りを持ち、素直なまでに感激している。
その純真さが結局歯止めの利かない戦争に利用されて行くし、僅かな年月の末に、誇る努力と経験は
誰も顧みることのない遺物となる、そんな皮肉を、単純で惰性に生きる「人の愚かさ」と思ったのですが・・・。
それぞれの思い出に「養蚕」は生きていて、こんな顕彰碑の1つから、広がる思いや話題がある。
それは、何か「人間っていいな」と(日本昔話のエンディング曲のようなことを)思わせます。
単純に惰性ではないですね。まじめに働く人の思いは幾多の戦争や混乱なんか越えて紡ぐ歴史となり
本当に大切な働く喜びみたいなことこそが、言葉にのぼる。空論の戦争論などは話題にもならない。
皆さんはよくおわかりのようですね。お恥ずかしい限りです
。(4日修正・追記)

 

レベルの違う問題ですが、
キャノン倶楽部はわけがわからないけど困ったことになってるみたいですね。
様子を見ますが、できることはしようと思います。少しでも、自分で考え、行動すること。
知的労働者の最低限の誇りが、私を支えております。
(ぐちぐち書くのは、抜けない風邪で弱っているだけかもしれません。)

 


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コメント 39

enosan

私が小さい子供の頃田舎では蚕を飼っていた、多分記事と同じ趣旨だったんでしょうね。私の思い出は蚕のことでなく桑の実をよく食べたことです。この記事からそんなことを思い出しました。
by enosan (2007-11-03 11:39) 

..記念とはなんとなくわかったのですが...
by (2007-11-03 11:44) 

逆境を乗り越えて、実現させる・・・
励まされる碑です。
by (2007-11-03 12:21) 

畑の帽子

昔、どうしても調べたいことがあって 図書館でわら半紙で製本されたぼろぼろのかび臭い本を読んだときの文章を思い出しました;。 
子供の頃 お蚕さんの部屋がある家が少ないですがまだありましたし、桑の実で指や唇が紫になったこともあります。 この夏に 林の中で桑の木を見つけ 実になるであろう花を見つけた時は うれしかったです。^^
by 畑の帽子 (2007-11-03 12:43) 

moonrabbit

記念は何となく読めました。v(*^_^*)ヴィ
まだまだ戦争に勝てると思っていた頃のものなのですね。。
巨費を投じて建てた意味が不明ですが・・・(--;
by moonrabbit (2007-11-03 13:52) 

michan

なんとなく読みましたが、近くにあればあるほど読まないで過ぎ去りますね。昔函館の五稜郭の石碑を一人で読んだことがありました。
何十年も居ながら一度も読んだことがなかった私。
今になってなんだか歴史を学びたいと思っています^^
by michan (2007-11-03 14:08) 

お散歩爺

昔は農家周りに多くの養蚕家があり、作れることに誇りを持っていたんですね。近所のお爺さんに今でも当時のことを聞かされます。
by お散歩爺 (2007-11-03 14:23) 

CARRERA

今回は話のレベルが高いな~!^^
by CARRERA (2007-11-03 14:38) 

barbermama

碑文を何日かかけて手帳にでも書き写されたのか、又は写真から
読み取られたのか・・どちらにせよその根気に頭が下がります。

ホトトギスが美しいですね。
by barbermama (2007-11-03 15:17) 

渋樹

昔、養蚕の盛んな地域に住んでたことがありますが、名残もありませんでした。
碑文、難しいですねぇ、知識欲に頭が下がります。
こちらも秋らしくなってきました^^
by 渋樹 (2007-11-03 15:45) 

せつこ

ワタシの育った家は蚕は有りませんでした。
蚕は知らないけど、綺麗なまゆから織った絹には世話になりました。
昔の人の文章は立派ですね、昔の人はこの文章の意味を理解できたのでしょう、しかしワタシは、チンプンカンプンです。母国語を大切にせねば!
by せつこ (2007-11-03 15:55) 

としぽ

こんにちは。各地に昔の記念碑が建てられていますね。
ゆっくりと読んだ事はないです。参考になります。
by としぽ (2007-11-03 16:50) 

アッキー

さすが!!
多くは語るまい
by アッキー (2007-11-03 16:53) 

aya

昔、愛知県の田舎で小学校生活を送りました。夏休みの課題で
蚕を飼っていたのを思い出しました。私は桑の葉より、紫の実が
好きだったのです(^^)v
by aya (2007-11-03 17:05) 

これらの写真の中で分かったのはホトトギスだけでした(^^;)
by (2007-11-03 18:20) 

キタノオドリコ

今や養蚕は風前の灯ですね。むかしは枝を切られてボコボコになったクワの木を見かけたもんですが・・・。
栃木も養蚕どころだったでしょうね。
私の暮らしている地域で数軒残っていた養蚕農家の一軒が数年前廃業しました。田んぼの農薬が風に乗って流れてきて全滅したこともある、などと語っておられました。
みぢかだった産業が若い世代に???桑畑や養蚕優先の住居を見ても、そこから人の営みを想像するのが難しい時代になりました。
by キタノオドリコ (2007-11-03 18:23) 

春分

enosan、
> 私が小さい子供の頃田舎では蚕を飼っていた、多分記事と同じ趣旨
> だったんでしょうね。私の思い出は蚕のことでなく桑の実をよく食べた
> ことです。この記事からそんなことを思い出しました。
養蚕がすぐ側にあったことがわかります。いいコメントをありがとうございます。
私は北海道の生まれ育ちですから、カイコはテレビの中の虫でした。

tanaka-maさん、
> ..記念とはなんとなくわかったのですが...
OKでしょう。私は漢字であることに気がつくまで時間がかかりました。

誠大さん、
> 逆境を乗り越えて、実現させる・・・
> 励まされる碑です。
このコメントに良いショックを受けました。
余計なことを考える前にこんなふうに素直に喜ぶ姿に共感すべきでした。
自分たちの姿をとても喜んでいることはわかったのですけどもね。
学ばせて頂きました。うれしいですね。書いてよかったです。

畑の帽子さん、
> 昔、どうしても調べたいことがあって 図書館でわら半紙で製本され
> たぼろぼろのかび臭い本を読んだときの文章を思い出しました;。 
滅多にないことですが、私も特許の前例を探して大正時代の本を読んだ
ことがありました。こんな文ですので、容易に読み進めませんでした。
> 子供の頃 お蚕さんの部屋がある家が少ないですがまだありました
> し、桑の実で指や唇が紫になったこともあります。 
やはりごく近くに養蚕があったのですね。

moonrabbitさん、
> 記念は何となく読めました。v(*^_^*)ヴィ
さすが。
> 巨費を投じて建てた意味が不明ですが・・・(--;
不明ですね。
仲間意識を確認したかったのでしょうか。おそろいTシャツとかを作る感覚か。

michanさん、
> 昔函館の五稜郭の石碑を一人で読んだことがありました。
どの碑でしょうね。男爵芋のは憶えています。
「男爵芋に○す」とか書いてましたが、読めませんでした。
> 今になってなんだか歴史を学びたいと思っています^^
私も日本史はとことん弱いのですが、それでも少し知りたいですね。

旅爺さん、
> 昔は農家周りに多くの養蚕家があり、作れることに誇りを持っていた> んですね。近所のお爺さんに今でも当時のことを聞かされます。
実は就職したての頃(それでも20年ほど前)、市貝町で蚕を飼っている
家を見ました。信号待ちのときにちらりと蚕部屋が見えたのですが。
自分の仕事を素直に喜ぶ姿は、あるべき姿ですね。
その分、逆に心にひっかかるところもあります。

CARRERAさん、
> 今回は話のレベルが高いな~!^^
普段の手ぬきっぷりがばれてますよね。
でも、これもただ碑を読んだだけですが。それを褒めてもらえてありがたいです。

barbermamaさん、
> 碑文を何日かかけて手帳にでも書き写されたのか、又は写真から
> 読み取られたのか・・どちらにせよその根気に頭が下がります。
写真を読んだんですが、きれいな碑とは言えかなり大変でした。
> ホトトギスが美しいですね。
ここにもコメント頂きありがとうございます。

渋樹さん、
> 昔、養蚕の盛んな地域に住んでたことがありますが、
> 名残もありませんでした。
一生懸命にやり生活の根幹にあっても、ほんの半世紀で変わりますね。
思っていたのは、稲作もまたそんなふうにならないかという事でした。
> 碑文、難しいですねぇ、知識欲に頭が下がります。
渋樹さんも同じような性質の方と思っておりますが。また勉強させて下さいね。

せつこさん、
> 昔の人の文章は立派ですね、昔の人はこの文章の意味を理解でき> たのでしょう、しかしワタシは、チンプンカンプンです。母国語を大切に
> せねば!
そんな視点も大切でしたね。
あまり格調高い文章ではないのではないかと思ってましたが、それでも
今は聞かないような熟語が幾つか出てきました。
もっとも変に格調高ないところがそれらしくて名文なのかもしれませんが。

としぽさん、
> こんにちは。各地に昔の記念碑が建てられていますね。
> ゆっくりと読んだ事はないです。参考になります。
誰か、専門家が読んでWebにアップしておいてくれたら苦労はないの
ですけどね。まあ、こんな記事も何かの参考になればいいかな。

アッキーさん、
> 多くは語るまい
アッキーさん、あっちの件で本当は語る暇がないのではないのですか?
まあ、きて頂けてうれしいです。こっちの世界にもたまに来てください。

ayaさん、
> 昔、愛知県の田舎で小学校生活を送りました。夏休みの課題で
> 蚕を飼っていたのを思い出しました。私は桑の葉より、紫の実が
> 好きだったのです(^^)v
私は、函館の生まれ育ちですので、蚕を見る機会はなかったです。
ただ、唯一小学校のとき学校の先生が蚕の卵を見せて下さいました。
見たことのない子供達のために送ってもらったようです。
クワは探しに行けば生えていましたが、その蚕は育てられませんでしたね。


コメントを書く
by 春分 (2007-11-03 18:27) 

春分

mistyさん、
> これらの写真の中で分かったのはホトトギスだけでした(^^;)
赤い実はウメモドキです。この木だけ黄葉が進んでいました。
赤い葉はブルーベリーの葉です。とてもいい紅葉をします。
将来自分の家を持たれたブルーベリーはお薦めの植栽ですよ。

キタノオドリコさん、
> 今や養蚕は風前の灯ですね。
たぶん、中国で生き残るのでしょう。
> 私の暮らしている地域で数軒残っていた養蚕農家の一軒が数年前
> 廃業しました。田んぼの農薬が風に乗って流れてきて全滅したことも
> ある、などと語っておられました。
碑文の「幾多の困難を団結して乗り越え」と言うのが気になるところで、
何があったのかなと思います。農薬もそうですが、蚕の病気もありますしね。
どんな形で知識を残すべきなのか、難しいですね。
趣味の養蜂や炭焼きのような形で、養蚕も残せるといいのかもしれません。
いい加減な記事を書いてから、自分でおたおた考え初めてますが、
今更ながら、なかなか深い問題ですね。
by 春分 (2007-11-03 18:36) 

こんばんは^^
春分さんは凄い努力家なのか、凝り性なのか・・・兎も角、よくこれをお読みになりましたね~。わたくしだったらすぐギブアップしたことでしょう。と言うより始めから手をつけなかったかも。
頭が下がります。
by (2007-11-03 19:42) 

タックン

昔 伯父の家で蚕を飼っていました。
天井の低い 薄暗い部屋で たくさんの白い蚕がもぞもぞと動いいて
手に取ったときのひんやりした肌触りを覚えています。
蚕は「お蚕様」と呼ばれていましたね。
こういう記念碑があることを初めて知りました。
by タックン (2007-11-03 20:23) 

養蚕記念は読めました、下の碑文をよく読まれましたね、多分根気がいったでしょう。
今は蚕など飼っている家はもう無いでしょう。
昭和59年頃には政府研究機関でつくば市に蚕糸試験場、農蚕園芸局種苗課筑波分室などがあって桑園があったのですが、もうないでしょうね。
by (2007-11-03 20:32) 

 私のうちでも十数年前までカイコを飼っていました。
今ではむらじゅう探しても桑畑を見つけることすら困難
です。
親の話でも絹糸は外貨獲得の為の国の重要な産業で
あったことが伺えます。
by (2007-11-03 20:49) 

すー

養蚕記念ですか〜。大きいのも読めませんでした。
養が春に見えました。
by すー (2007-11-03 20:58) 

めもてる

えらいなー! ちゃんと読むとおして。
神社やお寺の境内に石碑がありますが、読んでみようと思ったことは無かったです。 反省。
by めもてる (2007-11-03 21:01) 

ムーミン

何を書いているのか、分からない碑を見ることがありますよね。
春分さんは、こうやって解読されている。
意味がわかれば、考える事も出来ますよね。
ここまで出来るのがすごいです~。
蚕産業は国のために、がんばったんですね。
by ムーミン (2007-11-03 21:03) 

みね

思わず「春風記念」と読んでしまいました(^^;;
公園に行くと、必ずチェックする桑の木があります。
クワカミキリが撮影出来るので・・・(^^;
by みね (2007-11-03 21:22) 

せり

何気に通り過ぎてしまいそうな碑文も、よく読んで見ると時代を映し出すタイムカプセルのようですね。花ばかりでなく、人間の作ったものにももう少し興味を持とうかと思いました^ ^;

私も最初、養蚕を「春風」と読んでしまいました。思い込みって怖いです;夜10時までに就寝すると体の免疫力も高まるそうですが、、、。ゆっくり休んでくださいね。
by せり (2007-11-03 21:47) 

絵瑠

春分さん、こんばんは。
昔、小学校低学年の頃に蚕を飼って居た事が有りました。
増えすぎて友人達に貰ってもらうのが大変でした。
by 絵瑠 (2007-11-03 22:52) 

とっしー

勿論読めませんでしたよ(笑)
倶楽部の件、お騒がせしてしまい申し訳ありませんでしたm(__)m
by とっしー (2007-11-03 22:56) 

puripuri

養蚕記念、、これは読めましたが、あとのは天眼鏡でもわかりません。
この文を読むだけでも大変なのに、それをタイプされて見せて下さり
解釈までも、、有難うございます。
子供の頃、真綿の入った半てんを着ていたような気がします。
by puripuri (2007-11-04 00:53) 

ケンケン

倶楽部へのコメントありがとうございました。
昨日、中間報告の記事をアップしたので、ご覧になってください。

養蚕で思い出すのが、まゆで作られた、小さな置物でしたね。
顔が書いてあったり、動物のようにしたりして、凝ったものまであったのが
懐かしいです。
by ケンケン (2007-11-04 06:39) 

沢山のコメントとご助言有り難う御座いました、現在勉強中に付き助かります。
養蚕といえば桑の葉を食べているもの凄い音?音とはいわないでしょうが食事中の蚕たちの姿・・・はじめて見たときの驚いたことを思い出します。
by (2007-11-04 10:04) 

mami

おはようございます。
蚕、飼っていた事があります。
餌の桑の葉を見つけられなくて、父に「無責任だ!」と蚕をほおり投げられたのを思い出しました。
お越しいただきnice!を、ありがとうございました。m(_ _)m
by mami (2007-11-04 11:00) 

きみどり

桑の葉、私も気に留めていますよ。
なんと言っても、ウチの子たちの大好物ですもの^^
どこらへんで、安全そうな葉が手に入るかも
ちゃーんとチェックしてあります。
by きみどり (2007-11-04 22:37) 

袋田の住職

このような碑文は読む機会が多くて・・・
慣れているので意味は理解できます♪
by 袋田の住職 (2007-11-05 19:43) 

春分

mimimomoさん、
> 兎も角、よくこれをお読みになりましたね~。
始めたらそこそこ大変で、途中で止めたらそれまでがもったいなく感じて。
割と面白い反応で、書いてよかったですね。

タックンさん、
> 天井の低い 薄暗い部屋で たくさんの白い蚕がもぞもぞと動いいて
> 手に取ったときのひんやりした肌触りを覚えています。
いい思い出ですね。何か私にも情景が見え、手に蚕が触れたようです。
> こういう記念碑があることを初めて知りました。
そう言われて、珍しいのかと思いましたら、割とあちこちにありそうです。
みんな、自分の仕事が自慢でうれしかったのですね。いいことですね。

mamiiさん、
> 昭和59年頃には政府研究機関でつくば市に蚕糸試験場、
> 農蚕園芸局種苗課筑波分室などがあって桑園があったのですが、
> もうないでしょうね。
あそこの研究所はどんどん合併したり名前が変わったりしてましたが、
建物はまだ壊すほどではないはずですから、旧蚕糸試験場はあるでしょう。

にの♪さん、
> 私のうちでも十数年前までカイコを飼っていました。
そんなふうに、日本は蚕の国だったのですね。そして今は違う。
数十年後に「日本も水田だらけだったが」と言ってなければいいですが。
まあ、そうしないようにできることをしないとなー。
それにしても、いろんな人の養蚕との係わりが聞けて面白いです。

すーさん、
> 養蚕記念ですか〜。大きいのも読めませんでした。
> 養が春に見えました。
素直なご意見で、よろしいですね。
私は、これが最初は漢字なのかと疑ってました。梵字見たいなのかと。

めもてるさん、
> 神社やお寺の境内に石碑がありますが、読んでみようと思ったことは
> 無かったです。 反省。
読むと面白いかもしれませんね。
こんな最近(?)の名文でもない(?)碑でもだいぶ楽しめました。

ムーミンさん、
> ここまで出来るのがすごいです~。
これも写真を撮ったからですね。拡大すればまあ読める(大変でしたが)。
ブログと写真のおかげですね。でも、もしかすると石に込められた思いに
憑依されたのかもしれません。
> 蚕産業は国のために、がんばったんですね。
そうですね。教科書では知っていても、何だか地続きになった気がします。

みねさん、
> 公園に行くと、必ずチェックする桑の木があります。
> クワカミキリが撮影出来るので・・・(^^;
そんなクワとの繋がりもありますか。

せりさん、
> 花ばかりでなく、人間の作ったものにももう少し興味を持とうかと
> 思いました^ ^;
ちょっと読んでみるのもいいかもしれませんね。
> 夜10時までに就寝すると体の免疫力も高まるそうですが、、、。
割と早く寝てるんですが、まだ治りません。

絵瑠さん、
> 昔、小学校低学年の頃に蚕を飼って居た事が有りました。
> 増えすぎて友人達に貰ってもらうのが大変でした。
ほんとうに、皆さん蚕とのいい思い出がありますね。
私は、キアゲハの幼虫を沢山集めて育てたことがありました。

とっしーさん、
> 倶楽部の件、お騒がせしてしまい申し訳ありませんでしたm(__)m
さて、少し気がついたこともありましたが、どうできるのか。

puripuriさん、
>養蚕記念、、これは読めましたが、あとのは天眼鏡でもわかりません。
拡大すると少し読めます。それなりに大変ですが。
> 子供の頃、真綿の入った半てんを着ていたような気がします。
いい話ですね。
私も祖母が真綿を伸ばしていたのを覚えています。
はんてんか、たんぜんを作っていたと思うのですが。

ケンケンさん、
> 倶楽部へのコメントありがとうございました。
> 昨日、中間報告の記事をアップしたので、ご覧になってください。
見ました。ご努力に敬服し感謝し、協力したいです。
> 養蚕で思い出すのが、まゆで作られた、小さな置物でしたね。
憶えています。でも忘れていました。思い出せました。

g_gさん、
> 養蚕といえば桑の葉を食べているもの凄い音?音とはいわないで
> しょうが食事中の蚕たちの姿・・・はじめて見たときの驚いたことを
> 思い出します。
雨が降るような音らしいですね。

mamiさん、
> 蚕、飼っていた事があります。
> 餌の桑の葉を見つけられなくて、父に「無責任だ!」と蚕をほおり
> 投げられたのを思い出しました。
昔のお父さんですね。私も、わりとそんな昔のお父さんかな。

きみどりさん、
> なんと言っても、ウチの子たちの大好物ですもの^^
> どこらへんで、安全そうな葉が手に入るかも
> ちゃーんとチェックしてあります。
あ、そうか。

袋田の住職さま、
> このような碑文は読む機会が多くて・・・
> 慣れているので意味は理解できます♪
いいですね。私は苦労しました。
私の書き起こし、間違って読んだり書いたりした字がなかったですか?
by 春分 (2007-11-05 21:41) 

(。・_・。)2k

TBして頂いたのにすみませんでした。
by (。・_・。)2k (2007-11-05 23:20) 

袋田の住職

そういえば、普通年月日の上には、維時とつけますが・・・
維持は、もしかすると・・・維時かも?
by 袋田の住職 (2007-11-08 11:03) 

ミステリオ

はじめまして。ミステリオと申します。
何となく親戚の名前で検索してたらここに行き着きました。
親戚は昔養蚕もしていたのでもしかしたらと思うのですが、
写真の石碑って茨城県の筑西市(旧下館市)
にあるものではないでしょうか。
by ミステリオ (2008-07-21 23:18) 

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