SSブログ

ステラーの航海(聖パブロフ号のその後) [海牛]

ステラーの航海のその後を書かないといけませんでしたが、放ってました。

前回は、ステラーの乗る聖ピョートル号が姉妹船聖パブロフ号を見失い
その後のどうしたかという話なんですが・・・。
もうすっかり忘れられているでしょうね。あらすじからやりなおします。


【これまでのあらすじ(オホーツク、ステラー海牛、ベーリングの航海)】
かつて北海道オホーツク海沿岸にアイヌに先立ち暮らしていたオホーツク人は、
アイヌの先住民であり、まぼろしのオホーツク文化の担い手であった。
海洋民族であるかれらが食料にした巨大哺乳類がステラー海牛(かいぎゅう)。
それは西欧世界の歴史に現れてわずか27年で消えた幻の絶滅哺乳類である。

そしてこのステラー海牛を歴史に記録し、その結果、絶滅の引き金を引いたのは
その動物と、あとほんの僅かの鳥や哺乳類に名を残す、夭折のドイツ人博物学者
ゲオルグ・ウィルヘルム・ステラーであった。

(もっと詳しく知りたい人は、サイドバーの「海牛」を全部読んで下さいね!
 なお、何度も書きますが、「うみうし」じゃなく、「カイギュウ」ですからね。)

昨年より、ステラーを乗せて旅立ったベーリング提督のアラスカへの航海の
物語「Where the Sea Breaks Its Back(そこに海尽きるところ)」を読みながら、
感想を交えて載せている(「アラスカ」とは「そこに海尽きるところ」の意)。

この物語によれば、この利発で野心あふれるドイツ人博物学者は、若くして人妻に
態よく遊ばれ捨てられて、「自分には北方研究しかない」とひたすら勉学に励み、
ついに地図もない頃のオホーツク海をアラスカめがけて探検する聖ピョートル号に
乗り込むに到った。
しかし提督ベーリングには好かれたものの(ベットで手をにぎられちゃったり)、
船員たちからは疎まれ「小さな司令官」と蔑まれていた。ステラーが船員たちより
頭一つ背が低く、一方で口うるさく怒りっぽい性格だったからである。

冒険心にかける提督ベーリングと粗野なロシアの船員たちと、アラスカに向かった
ピョートル号とパブロフ号は、悪天候の中、互いを見失うこととなった。

離れ離れになったままアラスカを目指したピョートル号とパブロフ号。
まず物語は、ステラーのいない方の船、聖パブロフ号について語られます。


では、今日のお話、はじまりはじまり 
(どんどこどん、どんどこどん♪ と、NHKラジオ「お話玉手箱」のように・・・。)


パブロフ号はベーリングの信頼を置く船長チリコフ(Chirikov)が指揮
していました。また、正式な博物学者デ・ラ・クレイヨールも乗っていました。

彼らは、聖ピョートル号よりも少し早くアメリカに到着したようです。
今日の地図を見ると、ばっさりと経線で区切られたカナダとアラスカの国境に
海岸線の一部だけカナダ側にはみ出ている部分があります。
そのあたりに聖パブロフ号は到達しました。7月15日のことです。

 


大きな地図で見る

ここでチリコフは上陸場所を探して、18日にはボートを下ろします。
入り組んだ地形の先の芦原に10人の武装した部下をつれた小隊長デメンチフ
(Dementiev)が送り込まれました。

上陸の合図のためのロケットも持っていきましたが、合図が聞かれることはなく、
また彼らが船に戻ることもありませんでした。
数日間彼らの帰還を待ちましたが、その間の夜、海岸には火が認められ、
それは数を増しました。
そこでチリコフはボートを破損して戻れなくなっているのだろうと、
小さいボートで大工とコルカー(船の漏水を止める職人)を送り込みましたが、
彼らも戻ることはありませんでした。

そうこうするうちに、朝、長いボートと小さいボートがパブロフ号に近づいて
きましたので、誰もが仲間の帰還と思いました。
ところが、乗員は初めてみる現地人で船に近づくと矢を射掛けてきたのでした。
交渉のことばも通じることはありませんでした。
ということで、たぶん先の上陸隊は、上陸できず、あるいは上陸と共に、射殺
されたのでしょう。


パブロフ号が、上陸を試みて現地人とも交渉しなければならなかったのは、
もちろん地理的発見をするための探検だったからもありましたが、この時点では
もっと切実に真水が必要だったからです。飲み水が不足し、雨水を帆にためても、
いつも雨がふるわけではなく、海水を蒸留して得た水は苦い水でした。

乗員の4分の1をここで失って、この後、帰途についた聖パブロフ号はやはり
現地人の襲来を受けますが、別のところでは交渉成立し、水を得ています。

このあたりは、200年前だからこそのやりとりの部分で面白いところですが、
プレゼントを現地人に投げてやっています。
きれいな装飾品とかチーズとか絹織物とかです。でもやはり矢を放ってきます。
そして、交渉成立の機会では、良く切れるナイフを投げたとき、受け入れられ
ました。水をよこして、もっとナイフをもっとよこせと要求してきたわけです。


このブログには、事細かに本の内容を書くことは必要ないでしょうから、
この後は、はしょりますが、

ここで得た水で暫くは航海できましたが、十分な量には程遠く、また代用の水
で暮らさなくてはならなくなりました。また、食料も不十分なものでした。
当時の船乗りの話にはつきもののビタミン不足による疾患です。
これで船員達はつぎつぎと倒れて死んで行くことになりました。

それでも、
チリコフは10月10日に母港のあるアバチャ湾に帰還します。
ぼろぼろに病んだ幾人かの生き残った仲間達と共に。
博物学者デ・ラ・クレイヨール後半酒びたりの日々だったようですが、
それが幸いしビタミン補給になったのか、ぼろぼろになりながらも生還します。
チリコフ船長もまた病を抱えての生還でした。
そして、病床からは離れることなく、亡くなったとのことです。


次回か、次々回は、ベーリングの聖ピョートル号の話を書きます。


nice!(50)  コメント(19)  トラックバック(1) 
共通テーマ:

nice! 50

コメント 19

berry

お久しぶりです(^^)
面白いですね。ぐいぐい引き込まれました。
現地人も怖いけど、ビタミン不足も怖いですね・・・。
続きがはやく読みたいです~。楽しみにしています!
by berry (2008-03-12 23:59) 

RAKI

昔の船乗りはビタミン不足で脚気等になる事が多かったらしいですね。
でも、当時はビタミンなんて知られておらず。
で、食料不足になった時たまねぎだか人参だかの新芽を食べていたら病気にならなかったので「あ、これかぁ」という感じで青野菜を食べるようになった、と。
・・・ホントですかね。

by RAKI (2008-03-13 00:14) 

はてみ

「そこに海尽きるところ」って(前も思ってましたが)格好いい言葉ですね。
アラスカの海岸線は、なんかカナダが損しているような…そんなことないのかな。
大航海時代は飲料水のかわりにビールを積んでいったりしたそうですが、
ピョートル号とパブロフ号もビールを積んでいたのでしょうか。
それにしてもパブロフ→犬という連想が止まりません。


by はてみ (2008-03-13 00:56) 

mimimomo

おはようございます^^
楽しく読ませていただきました~
昔の人は苦労して色々のことを発見したりしたのですね~
頭では分かっていても、こうして読んでみると想像を絶する苦労だったんだろうなーって思います。
by mimimomo (2008-03-13 05:07) 

キタノオドリコ

航海には壊血病がつきまといますね。
17世紀初頭、日本から3ヶ月かけて太平洋を横断した船では、日本人が壊血病にならなかった。それは積み込んだ「味噌」がビタミン補給をしたから・・・という話を思い出しました。
現地人、怖いですねぇ~。貢物は鉄器にかぎりますね。私が現地人だったとしてもチーズを投げてよこされた日にゃぁ・・・やはり矢を射掛けたと思います(笑)。
by キタノオドリコ (2008-03-13 06:34) 

せつこ

昔の航海は死を覚悟して乗ったのでしょうね。
それにしても、言葉が通じないというのは、困りますよね。
考えや、気持ちが通じないのですから・・・!
相手が何を考えているのかも判りませんし・・・冒険家は危険を背負って生きていることが伝わってきます。

by せつこ (2008-03-13 07:04) 

めもてる

大航海時代になるのでしょうか。今宇宙に飛び出していくより大変だったのでしょうね。物語の再開、有難うございます。次回も楽しみにしています。
by めもてる (2008-03-13 09:06) 

笙野みかげ

先日は「nice!実験」にご訪問&コメントありがとうございました。
コメントいただいた方にひとりずつゆっくりとお礼に回らせていただいています。
実験結果を書きましたのでよろしかったらご覧くださいませ。

現地人にとっては見知らぬやつらがやってきたと警戒心をあらわにしたんでしょうか。敵が攻めてきたと思ったのかもしれませんね。
当時の航海は栄養状態もよくなければ薬も限られていたでしょうから、本当に命がけだったんだろうな。
by 笙野みかげ (2008-03-13 12:51) 

きまじめさん

私がこちらに訪問させていただいた初期の頃にこの海牛の記事に出会い、
とても興味を覚え、さかのぼって読ませていただきました。
その先の話が楽しみで、ワクワクしています。
by きまじめさん (2008-03-13 22:26) 

sakamono

おひさしぶりでした。【これまでのあらすじ】というのが、やはり良いですね^^。上陸部隊が戻ってこないとなれば、心配性の自分などは、現地人と何かあったのでは、と真っ先に思うコトでしょう。さて、ピョートル号の方は?今後の展開に期待です。
by sakamono (2008-03-13 22:41) 

kijimu-na

昔の航海は命がけですね。
自分には無理・・・なんて思ってしまいます。
by kijimu-na (2008-03-13 23:10) 

ハギマシコ

先駆者の冒険、、、危険だらけだったのですね、、、
地の果てる所とか、海の墓場とか、命知らずな世界、次が楽しみです。
カイギュウって、、、トドみたい?
by ハギマシコ (2008-03-14 00:18) 

kone

続きが待ち遠しいです!!!
言葉の通じない現地人との交渉は大変だったでしょうね。
飲み水の確保って大変なんですね〜
by kone (2008-03-14 20:23) 

春分

berryさん、
> 現地人も怖いけど、ビタミン不足も怖いですね・・・。
現地人の方としても怖かったでしょうから。
恐怖はいいものじゃないです。

RAKIさん、
> で、食料不足になった時たまねぎだか人参だかの新芽を食べていたら病気にならなかったので
> 「あ、これかぁ」という感じで青野菜を食べるようになった、と。
その話は知りませんでした。いい話ですね。
脚気はビタミンB1不足ですが、青菜であれば壊血病のビタミンC不足の方かな。
犬はビタミンCを作ることができます。偶然食料不足になった時に犬を食べずによかったです。
「以来、船の旅には犬を同伴するのが常となり」では、悲しい歴史と言えるでしょう。

はてみさん、
> それにしてもパブロフ→犬という連想が止まりません。
犬繋がりの話に展開したか。
聖パブロフは、聖パウロですね。英語ではセント・ポールかな。
聖ピョートルは、聖ペテロ、聖ピエトロ、セント・ピーターですね。
そしてご存知でしょうが、聖ヨハネは、セント・ジョンです。
犬結びができましたね。

mimimomoさん、
> 楽しく読ませていただきました~
少しは期待してくれている方もいるかなと、書いてますが、進みが悪いです。
> 昔の人は苦労して色々のことを発見したりしたのですね~
> 頭では分かっていても、こうして読んでみると想像を絶する苦労だったんだろうなーって思います。
確かにそうですね。「肌で感じて、腑に落ちる理解を」と会社の先輩に言われました。
まあ、あまり死にかける経験はしたくないですが。

キタノオドリコさん、
> ~日本人が壊血病にならなかった。それは積み込んだ「味噌」がビタミン補給をしたから・・・
これはどこかで聞いたことがありました。
> 私が現地人だったとしてもチーズを投げてよこされた日にゃぁ・・・
お嫌いですか?そうですねぇ、欧州人の本格的チーズを出された日にはやはりね。

せつこさん、
> 昔の航海は死を覚悟して乗ったのでしょうね。
ベーリングは違ったようですが。随所に生きる用心が認められます。
それを臆病と見るのがおかしいのかもしれませんが、行ったからには大胆に進めた欲しかったですね。
> 相手が何を考えているのかも判りませんし・・・
そんなときにはプレゼントということでしょうか。ナイフや斧は評判がいいわけですね。

めもてるさん、
> 大航海時代になるのでしょうか。今宇宙に飛び出していくより大変だったのでしょうね。
コロンブスは1500年代、ベーリングは1700年代前半ですから、200年の差はあります。
クック船長(ジェームズ・クック)がほぼ近い1700年代後半です。
ダーウィンのビーグル号の航海が1800年代ですからまた少し後です。

笙野みかげさん、
> 先日は「nice!実験」にご訪問&コメントありがとうございました。
巻き込まれてしまいましたから、後で結果を見ておきましょう。
実験でしたら、nice!は消しておいた方がいいでしょうか?

きまじめさん、
> 私がこちらに訪問させていただいた初期の頃にこの海牛の記事に出会い、
> とても興味を覚え、さかのぼって読ませていただきました。
ありがとうございます。あまりお待たせしないように心がけます。

sakamonoさん、
> おひさしぶりでした。
そういえば、ちょっとご無沙汰状態ですね。
> さて、ピョートル号の方は?今後の展開に期待です。
はいはい。今週末くらいには何とか。

kijimu-naさん、
> 昔の航海は命がけですね。
> 自分には無理・・・なんて思ってしまいます。
昔の人からすれば、よくわからない光る板のようなものに向かって朝から晩まで
指を動かしているのはとても無理だと思うかもしれませんね。

ハギマシコさん、
> カイギュウって、、、トドみたい?
大きさがずいぶん違いますがね。
でも、トドの英名は「Steller's Sea Lion(ステラーのシーライオン)」です。
ステラーにより報告された動物ですね。

koneさん、
> 続きが待ち遠しいです!!!
ありがたいお言葉に感謝致します。この週末くらいにもう一回書きますね。
> 飲み水の確保って大変なんですね〜
大海は塩水の砂漠なのですよね。
by 春分 (2008-03-14 21:53) 

mamire

こんばんは。
なつかしいうみうし←じゃなくて海牛のお話楽しく拝見しました。
人は困難を乗り越えようとするときに力をつけるのなのですね。
特に殿がたは、妻に捨てられた後が大事。
ソネブロも、フメンテ後のフォローを大事にしてもらいたいです。
初期の頃の海牛の手描きの絵なんか思い出しちゃいました。


by mamire (2008-03-14 23:00) 

po-net

続きが気になりますねぇ!昔バンクーバーからクルーズ船に乗って
アラスカで寄港したのは、たしかシトカ、ケチカン、ジュノーといった
まさに海岸線の一部だけカナダ側にはみ出ている部分でした。
あの辺りにはインディアン?がたくさんいたのでしょうね。
今は政府が保護しているため、道端で酒びたりの彼らを時々見かけ
痛ましかったです。
by po-net (2008-03-16 10:44) 

po-net

結局上陸できなかったのですねぇ。私も本を読んでみたいですが
辞書首っ引きになりそうですね。次を楽しみに待ちまする。
by po-net (2008-03-16 11:01) 

Green

次回が楽しみですよ(^0^)♪
by Green (2008-03-18 22:58) 

パキちゃん

3歳頃、こっそり見ていた兄の科学雑誌に、海牛のイラストが載っていました。
文章がよくわからず、勝手に見て怒られるかなと思いながらも兄に尋ねたら、もう絶滅したのだと説明されました。
なんだかすごく哀しかったのを覚えています。
by パキちゃん (2008-03-21 05:13) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。