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ステラーの航海(リターン・オブ・セントピーター) [海牛]

不定期連載のステラー海牛シリーズ。
博物学者ステラーの航海も残り少なくなって参りました。

これまでのあらすじ:
18世紀半ば、探検船「聖ピョートル号」はカムチャツカ半島から、未知の
アラスカへの
旅をした。そしてこの船の博物学者ステラーはアラスカに踏み行った最初の西洋人と
なった。しかし、、帰途につこうとしたとき既に夏は終わろうとしていた。
順風は吹かず、船は最悪の嵐の季節を迷走し、尽きた食料と汚れた水が招いた病で
次々と仲間は失われ、ついには陸より200km隔てられた無人島に漂着、座礁して、
冬を向かえた。
ベーリング提督をも病で失った後、残された人々を導いたのは、頑固で若いが責任感
の強い副官ワクセルと、そして意外にも、小柄で気難しい博物学者ステラーであった。
かつてロシア人水夫たちと対立しがちであったステラーではあったが、深い知識と献身
的な姿が認められるに至り、頼られ協力し助け合って厳冬をすごした。
そして、ステラーたちは半分砂に埋もれた聖ピョートル号を解体し、それを元に新たに
船をつくることにした。春が来て、船造りがはじまっていた。
そんな漂流者達の船造りを支えたのは、沖に浮かぶ巨大な海獣の肉であった。
今日、その博物学者の名を得て知られる「ステラー海牛」であった。
その肉は牛肉のようで、その脂はスイートアーモンド油の香りがした。

ベーリングの聖ピョートル号とステラーの航海の物語「そこに海尽きるところ」の紹介
もついに漂流者達の帰還の話に至りました。

より詳しくは、マイカテゴリーの「海牛」をご覧下さい。

不定期連載の「博物学者ステラーの物語」は、カムチャツカ半島の母港まで
200kmを隔てた孤島、死んだ指揮官の名をつけたその島、ベーリング島
で冬を越したところまで来ていました。

先にも書きました通り、聖ピョートル号に乗っていた船大工とコルカー(水
漏れ修理職人)は病死していたので、新しい船はワクセルの指示の元、造船
経験を持つコサックの技術により造られました。大工は修繕の道具を積んで
いたのでしょうが、シロウトが帆船を造ることは容易いことではなかったで
しょう。しかし、夏の終わりに小振りな船は完成しました。

船の名は、元の船と同じ「聖ピョートル号」に全員一致で決められました。
それは死の旅をした船の名でしたが、同時にベーリングと旅した船でした。
ベーリング付きの元士官(左遷されてこの職)のオブシンには、特に譲れな
い名前であったに違いありません。旧船の解体を「女王陛下の船である」と
して強く反対した経緯もありました。
(ということで、この章のタイトル「リターン・オブ・セントピーター」
の意味は、「聖ピョートル号の帰還」の意味である前に「聖ピョートル号の
復活」であったのかもしれません。)

その新しい船は、メインヤード(主帆桁)1本とメインセール(帆)1枚を
備えた1本マストの船で、船首から船尾まで41フィート(12.5m)、
キール(竜骨)は36フィート(11m)、11フィート(3.4m)の梁、
5フィート1/4(1.6m)の船深を有していました(春分注:ネットの
情報によれば元の聖ピョートル号は全長80フィート、全幅20フィートの
2本マストの船だったようです。)

IMG_9241.JPG

ワクセルの述べるところでは「キールは、(旧船の)それを取り上げるため
の道具も力もなかったので、旧船のメインマストをデッキから3フィートの
ところで切って使い、残りの部分は新船の船首に使って、主帆桁やジブ材等
はそのまま新船に使えました。残るマスト材や梁などを1と1/2インチの
板に仕立てられました。それらは甲板その他の材とされました。釘は抜かれ
再利用されました。
7月には甲板を張り終え、防水作業に掛かれていました。ただ仕上げに塗る
ピッチはなく、獣脂を塗るに止まりました。
船は前後に小さな船室を有し、食料などを入れることができました。

(私は船の構造と名前についてまったくのシロウトですので、名前について
は多少の不正確はご勘弁下さい。もう少し詳しく書いてあるのですが、ごま
かしています。あるいはご指摘ご質問は歓迎致します。元の聖ピョートル号
は2本マストの船であり、その1本を竜骨に使い、1本はそのままマストに
使ったというのがおおよその話かと思います。)

IMG_5169.JPG


船を海に浮かべるまでは一苦労でした。海まで175フィート(53mほど)、
引き下ろすのに苦労してやっと進水に至りました。8月8日のことです。
彼らは秋の嵐(台風)を避けるべく、作業を急いでいました。なんとか間に
合わせたという様子だったと思われます。


船の出航を前にして、ステラーには困った仕事が必要になりました。
荷物は360ポンド(約162kg)までと制限されたのです。それはワク
セルの72ポンド(約33kg)よりも多い量でしたが、キトロフの半分の
量でした。ステラーは博物学者であり、持ち帰りたい標本はいくらでもあり
ました。他の船員達も僅かな荷物を許されただけですが、多くは換金価値の
あるアザラシの子供の毛皮を持ち帰りたかったわけです。
ステラーは抗議しましたが受け入れられず、泣く泣く標本を選びました。
残される標本は埋め、ノートと僅かな標本だけを船に乗せました。ただし、
その中にはステラー海牛の全身骨格標本もありました。これは今日サンクト
ペテルブルグ(セントピータースバーグ、ソ連時代はレニングラードですね)
の博物館にあり、後にも先にも世界でたった一つのステラー海牛の骨格標本
だそうです(ちなみに、東海大学の博物館がこの完全レプリカを持っていて
公開しているようです。いつか見に行かないと行けません)。
人はと言えば、ステラーとキトロフとワクセルだけは3人で1つの部屋を持
てましたが、他は(生き残り46人-3人=43人)十把一絡げで船に乗っ
たようです。3交代制で見張りに立ったようですが、先の船の大きさからし
て、1人が占められるのは1m×1mくらいだったのではないでしょうか。

IMG_5452.JPG

8月13日、新しい聖ピョートル号は母港を目指し出航しました。
ステラーたちは8ヶ月を過ごした越冬地を静かに見送り、そして、死に彩ら
れた冒険の最後の200kmの航海が始まりました。元の船であれば、3日
ほどの距離ではありました。

確かに最初は天候にも恵まれ、風も良好で、新聖ピョートル号はゆっくりと
湾を抜けて南の岬を迂回しカムチャツカへと進路を取りました。いつになく
キトロフも機嫌良く「3~4日もすればアバチャ湾に碇を降ろせるさ」と語
りかけました。

しかし、水漏れが始まりました。
カムチャツカへ向きを変えた頃には、船内に水が漏れ始め、汲んでも足りな
い様子になりました。同じくして風は止み、船の進みは極端に減じることと
なりました。
新しい船は、上陸用の大型ボートを後ろに曳いていました。ワクセルはこれ
を捨てることを命じました。船足は速くなるでしょうが、退路は断たれます。
また、それまで持って来ていた3門の大砲と砲弾を捨てさせました(私には
なぜそれを持って帰らなければならなかったかがわからないのですが)。
また、船員達に命じてそれぞれが大事に持ち帰ろうとした毛皮の一部を捨て
させました。

しかし、これらが功を奏し、この後船は速く進むようになり、水漏れも修復
できて、順調な航海ができるようになりました。
そして3日後、漂流者達はカムチャツカ半島の山々を目にしました。

IMG_4010.JPG

ただこの後、船はカムチャツカ半島の東岸を4分の1ノット(時速500m)
という遅々たる速度で南下することになりました。ですが、陸はそこに見え
ていますし、地形からおおよその位置も推察できるようになりました。
そしておよそ1週間の後、母港のあるアバチャ湾にたどり着きました。
聖ピョートル号の帰還です。

最後の航海は割とあっさりした旅に思えます。
事実というのは作り事ほどかっこうよくはないでしょう。
ただ、ここで気づくのは、ベーリングこそ失ったものの、その後、漂着者達
は新たな死者を出すことなく、冬を越え、海を越え、帰還したわけです。

IMG_9247.JPG

その後の物語は、更に面白くない話しかもしれません。
遠の昔に帰り着いていた姉妹船の聖パブロフ号の船長キリコフは、アラスカ
発見の栄誉は自分たちにこそあると主張し、36時間早い上陸だったと主張
しました。先に述べた通り、ここで言う上陸者は帰ることのなかった兵士達
のことです。上陸の合図のロケットの音も聞かれませんでした。
またキリコフはステラーが上陸したのは島に過ぎないとも言いました(でも
今日ではこの点はキリコフ隊も同じことです。
私としてはキリコフの主張があながち間違っているとも思えないのですが、
ステラーは少なくとも原住民の住居について記述し、原住民によりそのこと
が記憶されていました。またわずかではあるにしても居住者の道具やそこに
いたステラーカケスの標本を持ち帰っています。ステラーの側に立たざるを
得ません。
そして今日、アラスカ上陸の栄誉はステラーにこそ与えられたように思われ
ます(もっとも、それが話題になることもあまりないのではありますが)。

IMG_4112.JPG

なお、悪いニュースばかりではなく元士官でベーリング付きの閑職に追いや
られていたオブシンは、ピョートル号の出航前に復職を命じられていました。
帰港後にそれを知ることとなったわけです。
オブシンはこの後、提督(キャプテンコマンダー)にまでなりました。

さて、ステラーはと言えば、この後、彼のコサックであるリプキンと共に
新たなカムチャツカ探検へと出ました(その他のことはまた次回)。

ワクセルは、新しい聖ピョートル号をここで修理し、船員たちと別の港へ
届ける航海に出ました。

そして、キリコフは、この航海には同行することはありませんでした。
キリコフは、この後、持ち帰った毛皮、それも許された量だけではなく船に
隠し持っていた多くの毛皮を中国人商人に高値で売り、一財産築きました。
そして、毛皮商人達に「北の海に毛皮の宝庫の島があるらしい」という噂が
急速に広がったのでした。

IMG_4380.JPG

「聖ピョートル号の帰還」の章はこれまで。
その後の博物学者ステラー、ベーリング島、ステラー海牛、アラスカの話は
次回で私の長い(1年かかった)「読書感想文」は終了となる予定です。



 

Where the Sea Breaks Its Back: The Epic Story of Early Naturalist Georg Steller and the Russian Exploration of Alaska

Where the Sea Breaks Its Back: The Epic Story of Early Naturalist Georg Steller and the Russian Exploration of Alaska

  • 作者: Corey Ford
  • 出版社/メーカー: Alaska Northwest Books
  • 発売日: 1992/05
  • メディア: ペーパーバック

 


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コメント 29

SilverMac

生還を諦めなかった乗組員の勝利ですね。
by SilverMac (2009-01-23 22:50) 

yakko

壮大な物語でしたね。ありがとうございました。
ステラー海牛を見てみたいものです。
by yakko (2009-01-23 22:52) 

アヨアン・イゴカー

>ステラー海牛の骨格標本だそうです(ちなみに、東海大学の博物館

湘南キャンパスにあるのでしょうか?
ところで、ナガス鯨の骨格標本が東京海洋大学のキャンパス内にあり、
あの大きさには感動しました。
by アヨアン・イゴカー (2009-01-23 23:06) 

かいつぶりん

海牛の標本は本物があるんですね。
それにしてもさらにカムチャッカへ探検するとは、ステラーはたくましいですね。
by かいつぶりん (2009-01-23 23:58) 

キタノオドリコ

船乗りにとって陸を見ながらの航海はこの上のない安心感だったのでしょう。ということで、母港に入る前に旅は終わっていたのですね。
根っからのステラーは新たな探検に出て、根っからの商人?キリコフは一財産築いた・・・なるほど、対比に納得です。
ps.先日、網地島にベーリング像がある顛末を聞くことができました。上陸したわけでもないのに、島に利権を持つ人たちが半ば強引に建ててしまったとか・・・つまらん話でした。
by キタノオドリコ (2009-01-24 07:30) 

momoe

東海大学博物館ってどこにあるのだろう?と思ったら
静岡ですか。ウチからでもちょっと遠いですね。
by momoe (2009-01-24 09:08) 

くまら

1m×1mって、せま!
それでも、生還する為には・・・
by くまら (2009-01-24 09:17) 

yoku

ステラー海牛の全身骨格標本だけでも、持ち帰られて良かった。
めでたし、めでたしですね。
それににしても、限られた持ち帰り品を選ぶときの様子もドラマ
ですね。ステラーみたいな崇高な人もいれば、ただ儲けを考える
人もいる。品格が出る(笑)。それにしても、根気のいる訳ですね。
私にはとても出来ません。お疲れさまです。
by yoku (2009-01-24 09:27) 

めもてる

楽しみにしておりました、多分知ることも無かった物語、有難うございます。
by めもてる (2009-01-24 11:16) 

lapis

壮大な冒険譚であるはずなのに、
もの悲しい印象の方が遙かに強い物語だと思いました。
>ちなみに、東海大学の博物館がこの完全レプリカを持っていて
国内にあるのでしたら、機会があったら見たいものです。
by lapis (2009-01-24 11:33) 

ハギマシコ

とても面白いお話でした。
ステラー海牛の標本見に行きたいですね、、、(^-^)
by ハギマシコ (2009-01-24 11:46) 

sakamono

船を造り直したという根性というか気概というか、そういうものに感じ入るモノがあります。新たに死者を出すことがなかったのも、すごいですね。毛皮商人達が、その後たくさん押しかけるコトになったのでしょうか。
by sakamono (2009-01-24 15:41) 

いぬ

標本何時か見に行きたいと思います
ありがとう ございました

by いぬ (2009-01-24 16:58) 

aya

知らなかったなぁ、面白かったです!!
・・・毛皮の宝庫は荒らされるのかしら?
春分さんの文章も 素晴らしい(^◇^)
by aya (2009-01-24 20:02) 

RAKI

先人の不撓不屈があってこその今日なんですねぇ。
とは言うものの西洋人の植民地化はどうしても好きませんのですが。

本で読みましたが、アザラシの脂はアーモンドで味付けしたクリームみたいな味がするそうです。食べてみたいかも。
by RAKI (2009-01-24 20:33) 

asahama

荷物を選ぶのは悩んだでしょうね・・・
海牛の標本が選ばれていて良かったー
そしてステラーはまた新しい探検に出たんですね!

追伸
時期を完全に逸していますが、いろいろとトラックバックさせていただきました。今度はうまく行きますでしょうか?
by asahama (2009-01-24 23:05) 

きまじめさん

ついにこの物語も大詰めになりましたね。
話の先を期待しながらの1年、興味深く読ませていただきました。
この先海牛の絶滅への物語が有るのでしょうか。楽しみにしております。
by きまじめさん (2009-01-25 00:13) 

チヨロギ

残され、埋められた標本はその後どうなったのでしょう?
by チヨロギ (2009-01-25 01:35) 

アッキー

久しぶりに海牛記事ですね
挿入写真が良いです

(記事に追記しました。お名前借りましたw)
by アッキー (2009-01-25 10:23) 

さとふみ

極地と言ってよい地域での探検ですね。例えば、水漏れをなおすと言ったって手だけでもつけるのが辛い冷海水のものだから、それに全身水浸しとなっての作業、想像を絶します。
by さとふみ (2009-01-25 10:43) 

春分

SilverMacさん、
> 生還を諦めなかった乗組員の勝利ですね。
たくましいですよね。生きなくてはならないとちっとも疑いがないですね。

yakkoさん、
> ステラー海牛を見てみたいものです。
骨であれば、上野の科学博物館にもあるようです。見に行かないといけませんね。

アヨアン・イゴカーさん、
> 湘南キャンパスにあるのでしょうか?
どうも静岡のようです。遠いですね。
> ところで、ナガス鯨の骨格標本が東京海洋大学のキャンパス内にあり、
> あの大きさには感動しました。
海洋大でしたらすぐ出かけられますね。何かのついでに見に行って見ます。

かいつぶりんさん、
> それにしてもさらにカムチャッカへ探検するとは、ステラーはたくましいですね。
たくましい面と弱い面がありまして、そこはまた次回。

キタノオドリコさん、
> 船乗りにとって陸を見ながらの航海はこの上のない安心感だったのでしょう。
> ということで、母港に入る前に旅は終わっていたのですね。
そんな気がします。
航海図を見ても沖乗り(陸から離れての航海)の方が早いのにぐずぐず走ってますね。
> ps.先日、網地島にベーリング像がある顛末を聞くことができました。
> 上陸したわけでもないのに、島に利権を持つ人たちが半ば強引に建ててしまったとか・・・
中には「見に行こうかな」という奇特な人もいるかもしれませんが、元は取れないでしょうし。

momoeさん、
> 東海大学博物館ってどこにあるのだろう?と思ったら
> 静岡ですか。ウチからでもちょっと遠いですね。
静岡駅からもずいぶん遠い様子ですね。出張のついでに行くこともままならないですね。

くまらさん、
> 1m×1mって、せま!
1m×2mに2人と考えればまあ寝られないほどじゃないですしね。
でも、ロシア人水夫ですしね。身体は大きいのかな。足りないかもしれませんね。

yokuさん、
> それににしても、限られた持ち帰り品を選ぶときの様子もドラマ
> ですね。ステラーみたいな崇高な人もいれば、ただ儲けを考える
> 人もいる。品格が出る(笑)。
うーん、というか、ステラーにしても自分の思いに忠実だっただけかもしれません。
「標本などはいいから、少しでも船員にスペースを」とは言うはずもないですし。
でも、確かに極限の状態で何を取るかは、よくあるテーマですが、難しい課題です。

めもてるさん、
> 楽しみにしておりました、多分知ることも無かった物語、有難うございます。
こんな話が人の歴史の中にはたくさんあるのでしょう。「プロジェクトX」もそうでしたが
「名もなき人」が歴史をつくってきたと思わせてくれるように思います。

lapisさん、
> 壮大な冒険譚であるはずなのに、
> もの悲しい印象の方が遙かに強い物語だと思いました。
所詮は小さな人間の営みと思うことも必要なのかと思います。
> >ちなみに、東海大学の博物館がこの完全レプリカを持っていて
> 国内にあるのでしたら、機会があったら見たいものです。
東海大学自然史博物館ということですから、清水駅から30分だそうでちょっと遠いです。

ハギマシコさん、
> ステラー海牛の標本見に行きたいですね、、、(^-^)
三保の松原のあたりのようですから、そっちへ出かけることがあれば寄れますね。

sakamonoさん、
> 毛皮商人達が、その後たくさん押しかけるコトになったのでしょうか。
結局そういう話なのですが、影響は甚大でした。アラスカのありようにも及ぶ内容で。

いぬさん、
> 標本何時か見に行きたいと思います
先に見られてしまいそうですね。

ayaさん、
> 知らなかったなぁ、面白かったです!!
面白いでしょう。北の海にはいろんなことが隠されているのですよ。

RAKIさん、
> 本で読みましたが、アザラシの脂はアーモンドで味付けしたクリームみたいな味がするそうです。
私の読んだ本では、そり犬用のアザラシ肉の缶詰はかなりまずいとのことです。
まあ、鮭缶と焼き鮭ではだいぶ味が違うし。そんなこともありますか。

asahamaさん、
> 時期を完全に逸していますが、いろいろとトラックバックさせていただきました。
> 今度はうまく行きますでしょうか?
さっき見たらうまくいってなかったようです。もう一度見直してみます。

きまじめさん、
> ついにこの物語も大詰めになりましたね。
> 話の先を期待しながらの1年、興味深く読ませていただきました。
ずいぶんかかってしまいました。どうせなら秋頃に季節感を合わせて到着させたかったです。
> この先海牛の絶滅への物語が有るのでしょうか。楽しみにしております。
そうですね。絶滅の話はすでに紹介していますが、それだけではない話も残ってます。
尻すぼみな話の流れながら、最後もきちんと新しい内容は入れて参ります。

チヨロギさん、
> 残され、埋められた標本はその後どうなったのでしょう?
どうでしたでしょうかね。
ベーリングの遺骨は一度回収されていますしね。たぶんもう一度見直されたことでしょう。
今日ではベーリング島に僅かですが人が住んでいるようですし。

アッキーさん、
> 久しぶりに海牛記事ですね
書くのはたいへんで、時間がかかりましてね。

> (記事に追記しました。お名前借りましたw)
見ました。また誰かつられてカメラやレンズを買っちゃうかなー。

さとふみさん、
> 極地と言ってよい地域での探検ですね。例えば、水漏れをなおすと言ったって手だけでも
> つけるのが辛い冷海水のものだから、それに全身水浸しとなっての作業、想像を絶します。
船員達はパニックになったとありますし、必死でしたでしょうね。
なお、今回は船の構造に関する単語に苦労しました。ごまかしましたがお目こぼし頂けたかなぁ。

by 春分 (2009-01-25 15:24) 

po-net

厳冬を生き延びてよくぞ戻られましたよねぇ。春分さんの記事を拝見
しなかったら、ステラーのことも海牛のことも知らず仕舞いでした。
by po-net (2009-01-25 16:42) 

ゴーパ1号

荷物…いつも多めで要領が悪い私です。
by ゴーパ1号 (2009-01-25 20:40) 

albireo

次回でいよいよ最終回ですか・・・。
寂しいような、楽しみなような・・・。
by albireo (2009-01-25 21:51) 

mimimomo

おはようございます^^
この記事、前からここにありました? (‘、’?  気づきませんでした(__;

キリコフって、な~~~んだか嫌な奴ですねぇ~
しかしほとんどの人が素人ともいえる船造り・・・大変だったんでしょうね~
無事帰還《あまり無事でもないですが》よかったですねww
by mimimomo (2009-01-27 08:10) 

ゆう

ステラー・・・いろいろ考えさせられますね過酷な旅だったけれど
標本を持ち帰れた事良かったです ただ毛皮は・・・むむむぅ。。ですが。
by ゆう (2009-01-31 23:10) 

春分

po-netさん、
> 厳冬を生き延びてよくぞ戻られましたよねぇ。春分さんの記事を拝見
> しなかったら、ステラーのことも海牛のことも知らず仕舞いでした。
何かな縁でステラー海牛を知り、博物学者ステラーに興味を持ち、
調べても何の手がかりもなく20年以上、それがネットとアマゾンの発展で
情報や本を得ることができるようになりました。そして今度は私が書いたり、
まあ、そんな運命だったのかなーとか、思います。

ゴーパ1号さん、
> 荷物…いつも多めで要領が悪い私です。
私も先のオフ会旅行ではいらぬ長靴を持って行き、いっさい使いませんでした。

albireoさん、
> 次回でいよいよ最終回ですか・・・。
> 寂しいような、楽しみなような・・・。
案外「そこに海尽きるところ」シリーズの終了だけで海牛シリーズは続いたり。

mimimomoさん、
> キリコフって、な~~~んだか嫌な奴ですねぇ~
250年以上たってなお悪口を言われるわけですし、悪いことはできませんね。

ゆうさん、
> ステラー・・・いろいろ考えさせられますね過酷な旅だったけれど
> 標本を持ち帰れた事良かったです ただ毛皮は・・・むむむぅ。。ですが。
この後、もっと悪い話になりますが、どこまで書いたものかが考えどころで。
ブログはいいことを書きたいですしね。
でも、いいこともまだ書き残していますし。


by 春分 (2009-02-01 17:34) 

whitesox

このブログを読んでいなければ知ることのない物語でした。ご紹介いただき感謝いたします。ステラー海牛を見てみたくなりましたが、ロシアには行けそうにもないので東海大学に行ってみようと思います。
by whitesox (2009-02-03 09:38) 

相框墙如何设计

谢谢博主的分享,确实了解到不少。
by 相框墙如何设计 (2013-06-05 12:28) 

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