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ステラーの航海(旅の終わり、そしてその後) [海牛]

海牛(かいぎゅう)と18世紀の博物学者ステラーと聖ピョートル号の話は
尻切れトンボで終わっていました。
たしかに聖ピョートル号は、母港ペテロパブロフスクへ戻って大団円では
ありましたが、その後の様子も少しだけ知られています。
ステラーのその後そして、ベーリング島と北の海のその後です。
あまり、読んで楽しい話ではないことはご承知置き下さい。
ですが、書かないのもなんですので書きます。


放置していたこのテーマを、書くきっかけがないままに放置していた記事を
このたび書くのは、paceさんの「BOWZ 日々是好日」でアリューシャンの
島々をシーカヤックで旅するという魅力的な話を連載してられ、ステラーの
旅した場所とも少し接点があるので、触発されたからであります。

で、お願いして、その北の島々の写真もお借りしました。
写真を載せながら、ステラーの旅の最後の話を書きます。
aleutian09-e79bb.jpg
(写真はpaceさんの「潮流の中の島々」シリーズから。
 それぞれ写真をクリックすると跳べるようにリンクをはらせて頂いてます。)

北の海とは、アリューシャンの島とはこんな様子なのですね。
そして、ステラーたちが1年を暮らしたベーリング島もまたこんな様子かな。


半年以上サボっていた博物学者ステラーとそのアラスカへの航海と、
絶滅してしまったステラーの大海牛の物語・・・
何がなんだかわからない方は、あるいはすっかり忘れてしまった方は、
最初に読むなら、以下の話がいいかと思います。
海牛シリーズマイカテゴリー
・ステラー海牛の最初の記事(最初の3記事がまとまった記事です)
聖ピョートル号の航海(一番最初)
・あらすじ付の記事(海牛についてはこの記事)

ちなみに、今回がこのシリーズの最終回になろうかと存じます。

 

 

ステラーのその後ですが、
聖ピョートル号の副官ワクセルらは、ペテルスブルグへ報告に戻りましたが、
ステラーはこの地に残り、あてのない亡命者となりました。
ロシアは航海を命じたアン女王の時代からエリザベータ女王の時代になり
いました(間の幼帝イヴァン6世は生後2ヶ月で即位し1年後エリザベータ
のクーデターの中、殺される)。新女王は外国人学者へ好意的な政策は取
らず、多くが捕らえられシベリア送りとなり死んだようです。したがって、
熱血と舌禍のステラーがこの地に残ったことは正解だったようです。

彼は、暫くコサックや子供らを相手に学校をつくり、教えていたようです。
航海を共にし、共に命を救ったコサックの従者トーマ・リプキンもいっし
ょでした。当時のことですから、辺境の子供たちは読み書きもできなかっ
たのでしょう。ステラーは文字を教え、たぶん得意の歌を教え、時には
あの死の冒険のことを子供たちに話したのだろうと思います。
元本の「海そこに尽きる所(Where the Sea Breaks Its Back)」に
は詳しく書かれてはいないのですが、私はそう想像します。
学問とは無縁のロシア人水夫やコサックたちと協力して越えた航海が
この地でた教えてみようとした理由ではないかと、私は思います。

aleutian010-647af.jpg
(この写真もpaceさんの記事から借りました。記事に跳べます。)
 


 

一方、あっちの方はてんで子供っぽいステラーは、元奥さんブリジットに
「やっぱり君が好きだ」とか手紙を書きヨリを戻そうとしていたようです。
気の迷いですね。
結局遅い返信があり、彼の生還を喜ぶ様子もなく、給金の支払いもないの
で彼の貴重な蔵書を売り払ったことが伝えられ、二度とステラーも手紙は
送ることはありませんでした。
農家の出のグラマラスな奥さんとしても、爺様学者の後、若い学者に乗り
替えたものの、自分より博物学が好きで勝手に留守にする夫では満たさ
れない思いがあったのかもしれません。たった一度の人生を失敗に終わ
らせた思いがあったかもしれません。
私としては書きたくないことですが、ステラーは別の手紙も書いているら
しく、学会の先生への手紙として「ワクセルとキトロフらの士官の怠慢で
博物学的成果があげられなかった」と報告しているようです。キトロフは
ともかくワクセルは友達になったのではなかったかと思いますし、言い訳
はあまりよろしくない。ですが、時代や地域が大きく違えばその辺の感覚
は現代の日本人の常識で計っては間違いでしょうから、「そうなんだ」と
いうくらいに読み流すことにします。


aleutian011-d5957.jpg
(朝焼けのアリューシャン)

(どの写真を借りるかは相談してませんでしたし、差し障りがあれば消します。)


そして、ステラーはブリジットにふられて、新たな探検に出ます。
その様子は「カムチャツカ紀行」にまとめられ、今日、英訳も手に入る
次第です(Amazonで手に入れましたが、読んでません)。
若きコサックのトーマ・リプキンは一緒に行くと言いましたが、ステラー
は「トーマ、もうこれ以上君の献身にすがる権利は僕にはないよ」と退け、
旅立って行きました(「見ていたような話だなっ」とつっ込んで下さい)。
 

ただ、この旅は短い旅となりました。
ステラーは旅に病んで、熱を出し、熱が下がるのを待てとの助言も聞かず
ペテルスブルグへ戻ろうとし馬車で出かけました。そして予約もない宿に
泊まることも断られ、北の外れで、戸外で病死します。37歳でした。
聖ピョートル号での航海の時が33歳です。本当に短い旅でした。
(ただ「聖ピョートル号の航海」や「カムチャツカ紀行」がその遺稿から
出版されました。)

死んだ後も辺境の地にあってよそ者の葬儀はことわられ、ロシア正教会の
墓地に葬ることも拒否され、遺体は彼の着ていた赤いマントを掛けられた
だけで凍土にぞんざいな様子で埋められました。動物がその一部を掘り
喰らう有様だったようです。
原住民が哀れと思い埋め直し、重石を置きました。更にそれから長い年月
の後別のドイツ人博物学者が墓所を整えましたが、それもその後失われ、
今日では何も残っていないそうです。

aleutian6-18-010-f26e7.jpg
(ハクサンイチゲの仲間ですね。paceさんは花もいくつか載せて下さってます。)



なお、ステラーと共に聖ピョートル号のリーダーとして活躍した若き士官
ワクセルのその後は、そこそこ出世して海軍少佐となり、キトロフが帰郷
した後はシベリアの統治者となりました。つまりはキトロフも出世してい
たようですね。ただエリザベータ女王はシベリアには興味がなかったこと
も背景にあるようです。




ステラーも死んでしまいましたし、話が長くなったこともありますし、
ここでいろいろすっとばして、最後にコメントなど書いて終わりにして
頂くのもいいかと存じますが、

「海そこに尽きる所」には、最後の章にステラーの物語とは直接関係ない
話が長々と載っています。
最終章のタイトルは「The Plunderers(略奪者たち)」。

つまりベーリング島に始まる海獣屠殺が書かれています。北の海が毛皮の
宝庫と知ったロシア人はベーリング島を手始めに、アリューシャン列島へ
アラスカへ、そして果てはカリフォルニアに至る海でラッコやアザラシ、
アシカを狩り、ほぼ絶滅の際まで追い込みました。大虐殺時代です。
もう一つは詳しく書きませんが、原住民であるアリュートとの攻防です。
というかアリュートは銃を持っていませんでしたので、こちらも虐殺の
物語です。
多少なりともステラーとそして海牛と関係のある話として、人間以外の
略奪についてだけもう少し書きます。

最初のベーリング島からの積荷は600頭のラッコ、2千頭のアザラシ、
2千頭のホッキョクギツネでした。そしてその後も同様の様子で、
ステラーが記録してから14年後の1756年には、ステラー海牛の肉は
得られたものの一頭のラッコすらいなくなり、更に12年後1768年に
は最後の海牛が殺され、この貴重な種は失われ、二度と見ることはでき
なくなりました。

更には、北西アメリカにこそとんでもない毛皮の宝庫があるとのうわさが
カリフォルニアやメキシコに至る海への「毛皮ラッシュ」が始まりました。
最初の船荷はラッコの皮5000頭分だったようです。

そしてここでもラッコはほとんど絶滅の危機にいたり、この本以外の別の
情報で確認すると最悪の時期には人の目につくところでは絶滅し、僅かに
人の気がつかないと所で2000頭を残すだけになっていたと思われます。

アラスカは1867年にロシアから米国に売却され、1940年代には、
アリューシャンやカムチャツカの島々は戦地となり(キスカ島、アッツ島、
占守島)、そんな波乱の時代を経てなお、毛皮の乱獲の地でありましたが、
その後、他の北米の動物たちと同じようにこの地の動物達も保護され、間
にあった動物達は今日では普通にいる動物に戻っています。
特にラッコは保護・再生の優等生として例に挙がる復活を遂げました。
この本の最後に書かれているのは、絶滅をも疑われたラッコがその数を
増している話で終わっています。「ラッコ?たくさんいるよ」と。
この本が出版されたのは1960年代ですが「アラスカだけで5000頭
がいる」と書かれています。そして今、調べてみるとその数はアラスカだ
けで12万頭、カムチャツカにも2万5000頭となっていました。

そして、今日、日本近海でもその姿をまた見るようになりましたね。


しかし、それだけに、
失われて戻ることのなかったステラー海牛のことは悲しい話です。
とても悲しい話です。

IMG_0299.JPG
(通勤途中に読んでは書いてたから、ぼろぼろになっちまった元本と新たに
 買った「カムチャツカ紀行」、「ベーリングの航海」、「ラッシャンアメリカ」。)

ラッコの話や海牛の仲間であるジュゴンの話や、占守島の話も書きたいと
思います。あるいは、「カムチャツカ紀行」や別の詳しい聖ピョートル号の
航海記録も読んでそっちも書くこともあるかもしれません。

でもそれは別の話として、ステラー海牛から転じて「そこに海尽きる所」を
読みながら書いた博物学者ゲオルク・ヴィルヘルム・ステラーとその仲間
達の航海に及んだ話は一応終了とさせて頂きます。


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春分

元の本の作者は、そもそも従軍してこの北方海域を訪れ、戦後また訪ねて
います。従軍とは、もちろん第二次世界大戦のことで、作者も書いていま
すが、この地は要所であり重要な戦地となったキスカ島、アッツ島があり
ます(そしてベーリング達が母港としたペテロハバロフスクから遠くない
場所に最後の戦地「占守島(しゅむしゅとう)」もあります)。1960
年頃に書かれたこの元本に1箇所Japanではなく「JAPの拠点施設」
と書かれた箇所があり、それはキスカ島のことです。
その辺りはすっかり省きましたが、本来丁寧にかくべきところだったかも
しれません。


by 春分 (2009-07-18 13:23) 

SilverMac

今日、NHKHi-Visionで「ピョトール大帝」を見ました。ロシアの歴史に初めて触れました。
by SilverMac (2009-07-18 15:40) 

mimimomo

こんにちは^^
何だか突然ステラー海牛が~ もう終わったかと思っていました。
キッシンジャーが『ロシアの歴史は国土を広げること』(言葉は違いますが)と言っていましたが、日本の事をとやかく言う国々ももっと色々ひどいことをやっていますよね。わたくしは
鯨は食べませんのでどうでもいいことですが、捕鯨も彼らは以前思う存分やっていたのですよね~
ステラーの一生とはかけ離れたコメントですみません(__)
by mimimomo (2009-07-18 16:04) 

はてみ

たくさんの丸まった付箋が読み込まれたことを物語っていますね。
37歳とは、ずいぶん若い死。
それでも“ステラー”の名はいまも残り、これからも残っていくわけだ。
長きに亘り、自力では読めないようなものを楽しませていただき、ありがとうございました。
次シリーズも期待しています(^^)
by はてみ (2009-07-18 21:05) 

mwainfo

paceさん、春分さんの記事は、あの関野吉晴さんのグレートジャーニーを彷彿とさせます。「我々はどこから来てどこへ行くのか」大命題ですね。
by mwainfo (2009-07-18 22:37) 

びっけ

長期連載記事、お疲れさまでした。そして、ありがとうございます。
春分さんのブログを読まなければ知らなかったであろうことばかりです。
特に、ステラー海牛なる動物の存在!
その後のラッコの復活に比べると、本当に哀しいですね。
貴重な写真も拝見できて、まさに感動のラストでした。
by びっけ (2009-07-18 23:01) 

yakko

こんばんは。
海牛と博物学者ステラーの物語、懐かしく思い出しました。
壮大な物語でしたね。37歳で亡くなったとは驚きました。
最後が可哀想でしたね。春分さんのブログを読まなければ
知らない世界の話でした。アリガトウございました。m(__)m
by yakko (2009-07-18 23:04) 

きまじめさん

ステラー海牛の話、時々気になっていました。
ステラーの淋しい最後、ラッコは増えることが出来たのに
ステラー海牛は全く絶滅してしまったという悲しい話、
興味深く読ませていただきました。
by きまじめさん (2009-07-19 00:36) 

ハギマシコ

ステラーカケスとステラーの関係・・・そしてその冒険記、、楽しく拝見いた
しました。自分では読めないし貴重な本のお話で、ありがとうございました。
by ハギマシコ (2009-07-19 00:47) 

mamii

ステラーのお話は本のの中のお話ですか?
by mamii (2009-07-19 01:42) 

ぱふ

実に壮大なシリーズが、ついに終わってしまったのですか!
何だか残念。
春分さんに語っていただかなければ、知りえない冒険でした。
ありがとうございます!
by ぱふ (2009-07-19 03:13) 

せつこ

ステラーは難しくて理解できないと思いますが、春分さんの解説で内容も判りました、ステラーは母国へ帰らず、ロシア色々な知識を教えて暮らしたのね。
by せつこ (2009-07-19 08:36) 

お茶屋

paceさんの記事も
春分さんの記事も・・・
本当にすばらしいです!!
by お茶屋 (2009-07-19 12:54) 

pace

ロシアのジェノサイドとも思える蛮行
経済的逼迫による売却
小樽につれてこられたアリュート達
いまだに母島に帰ることの出来ない人々
ステラー海牛と同じような運命をアリュートたちも受けています
そしてこの地は世界の弱者が肩を寄せ合って暮らす地でもあります
効果的に写真を使われている事と我が記事の紹介に感謝いたします
by pace (2009-07-19 17:07) 

aya

悲しい最期ですね、生き延びているものと思っていましたが・・・
壮大な物語を、読んだ気になってます(^▽^;)
海牛は人知れず何処かで生息しているとか・・・悲しすぎますね(^_^;)
by aya (2009-07-19 19:02) 

春分

おかげさまでこの面倒な記事にもいつもと同じくらい多くのnice!を頂きました。
ありがとうございます。
一方、コメントは少ないです。コメントしづらいですよね。すみません。
そんな中、コメントを下さった皆様、より深く感謝致します。

SilverMacさん、
> 今日、NHKHi-Visionで「ピョトール大帝」を見ました。ロシアの歴史に初めて触れました。
いいですね、Hi-Vision。
そしてロシアも遅れた国としてあせって色々やったのでしょう。その大まかな意味で日本に似ていますね。

mimimomoさん、
> 何だか突然ステラー海牛が~ もう終わったかと思っていました。
いえ、申し訳ない。
この話、どう解説しながら書くかで印象は違います。「ロシア人は残忍だ」「欧米人は残忍だ」「人間と
言うものは残忍だ」「欲に駆られた人間は悪い」「教養の低い者たちは悪い」等々。

はてみさん、
> たくさんの丸まった付箋が読み込まれたことを物語っていますね。
そこを突っ込んでもらおうと思ってましたが、あまり反応がないようです。
> それでも“ステラー”の名はいまも残り、これからも残っていくわけだ。
そうですね。
> 次シリーズも期待しています(^^)
「ラッシャンアメリカ(ロシア支配下のアラスカ)」 というのも面白そうです。

mwainfoさん、
> paceさん、春分さんの記事は、あの関野吉晴さんのグレートジャーニーを彷彿とさせます。
> 「我々はどこから来てどこへ行くのか」大命題ですね。
すべては歴史と切り離せないですね。
そして歴史にはいつも必ず冒険家が必要ですね。

びっけさん、
> 貴重な写真も拝見できて、まさに感動のラストでした。
うまくpaceさんの記事にに乗っかってしまったかもしれません。

yakkoさん、
> 海牛と博物学者ステラーの物語、懐かしく思い出しました。
ちょっと間が開きすぎました。
私もステラー海牛の話は大学の授業でちょっとかすっただけでした。
それが、気になりこの様子。
誰かが、この記事をみて何か新しいインスピレーションや興味を持って
下さるといいのですが。

きまじめさん、
> ステラーの淋しい最後、ラッコは増えることが出来たのに
> ステラー海牛は全く絶滅してしまったという悲しい話、
> 興味深く読ませていただきました。
うれしいコメントありがとうございます。
まだ世界にはたくさんの絶滅危惧種がいます。海牛の仲間のジュゴンや
マナティもそうです。
次はそんなことも考えるべきなのかなと思います。

ハギマシコさん、
> ステラーカケスとステラーの関係・・・そしてその冒険記、、楽しく拝見いた
> しました。自分では読めないし貴重な本のお話で、ありがとうございました。
ステラーの海鷲(ステラーシーイーグル、オオワシ)もいますしね。
ベーリング島のステラーメガネウは、これも残念ながら絶滅しました。

mamiiさん、
> ステラーのお話は本のの中のお話ですか?
すべて事実ですが、「ステラーの航海」の部分は、ステラーの書いたものを
参考にした伝記本みたいなのを訳して紹介しています。ですが、コメントも
多くて、ただの訳ではなくなってますね。

ぱふさん、
> 春分さんに語っていただかなければ、知りえない冒険でした。
> ありがとうございます!
難しいでしょうけど、何かの機会があったらお友達との話題にして見て下さい。

せつこさん、
> ステラーは母国へ帰らず、ロシア色々な知識を教えて暮らしたのね。
そこで終わってたら、とてもいい話でしたね。
でも、その学校から学び、自分でも学び、次の世代を教える人が出たかも。
何せ200年以上前のことですから、わかりませんが。

お茶屋さん、
> paceさんの記事も
> 春分さんの記事も・・・
> 本当にすばらしいです!!
paceさんの記事はすばらしいし、その前にその行動がすばらしい。
お茶屋さんの行動もすばらしいのではないでしょうか。そして記事も。

paceさん、
いろいろありがとうございます。
> ステラー海牛と同じような運命をアリュートたちも受けています
> そしてこの地は世界の弱者が肩を寄せ合って暮らす地でもあります
まだできることを考えることができるなら、考えたいですね。
小樽の話は知らなかったので調べてみます。

ayaさん、
> 海牛は人知れず何処かで生息しているとか・・・悲しすぎますね(^_^;)
以前の記事に書きましたが、目撃したとする例はありますが、
さすがにもう時間が経ちすぎましたね。まだ生き残るジュゴンやマナティに
目を向けるのが現実的かもしれません。
「また、やっちまった」にならないように。

by 春分 (2009-07-19 21:59) 

lapis

長い間、ご苦労様でした。
古い航海記録は面白いですね!
知らないことばかりだったので、興味深く拝見しました。

by lapis (2009-07-24 20:42) 

sakamono

最後の写真が、なんとも印象的で良いです^^。
長い長い物語が終わったような...
「毛皮ラッシュ」という言葉は初めて聞きました。
by sakamono (2009-07-25 17:14) 

po-net

ステラーさんの最期は実にせつないですね。海牛もラッコのようにまた
繁殖できるとよかったのに。。こうして記事にしてくださると、自分では
知りえぬ世界に触れることができて実に嬉しいのであります。
今後も楽しみにしとります。
by po-net (2009-07-26 10:11) 

照片墙知识普及

好漂亮
by 照片墙知识普及 (2013-06-05 12:28) 

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