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10月の載せ残し [雑感]

備忘録だから、10月のことをいろいろ書いておこうと思います。
載せ残し写真もいろいろあることですし。

なかなか充実した滑り出しでした。
バーベキューオフ会もあったし。
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お台場のバーベキューに行く前に寄った葛西臨海公園のイヌマキ(10月7日)

あるいは、奥さんと新装開店の東京都美術館に行ってみたり
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10月11日東京都美術館


記念のメトロポリタン美術館展をやっていまして、
会社でただ券を貰ったので行きましたが、お金を払っても
見ておいた方がいいです。
お昼もここのレストランで食べました。
ワインはビールより安かったものだから。
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ついでにまた国立美術館の撮影。
先にうまく撮れなかった仏像とかも、
 

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妙にかわいい。
 
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更にはかっこいい。
 
平成館の側の土偶とかを撮りました。デジタル一眼の独壇場。
撮影OKだけどフラッシュは禁止だからコンパクトカメラでは
相当難しいはずです。それでも皆さん撮ってますけどもね。

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鶴田川のキセキレイ(10月6日)



美術館の次の週は会社の先輩に誘われて陳健一のお店で飲み会。
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本店の方じゃないけど、特別な紹興酒と、陳健一と言えばの麻婆豆腐。
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(10月17日) 
 

学会やセミナーで忙しい時期が続いていましたが、
鳥や虫や植物も撮って、ある種の安定感の中にいた頃でした。
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近所のアオスジアゲハ(10月14日) 
 

大手町であった小さな無料セミナーで忙しさも一段落。
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東京駅(10月23日)

年末に向けてまとめるべきことをまとめないとと思いつつも
スケジュールを決められているのとは違う落ちついた週末に
なるはずでしたが。

父の様子は、もちろんいいわけではなかったのですが、
悪いわけでもありませんでした。

盛夏の頃は食欲が減じて意欲もわかず、「これはもうだめだ」
と思っていたのですが、暑さも気にならなくなり始めた頃に
は食欲もあり歩きも軽やかになり、だいぶ会話もまともな様子
だったので、「これはずっとこの調子で何年も暮らすのだな」
と思うようになっていました。
「長生きしてくれてうれしい」ということではなかったです。
好きだったテレビも雑誌も興味を失い、ありもしない来客や
外出の予定を語る様子はもう魂は半分抜けたようなものだと
思ったし、1人では何もできなくなってきては私達の生活も
相当制限を受けていたわけだし、「そのときが来るならいつ
でもそうかわらない」と私は思っていました。

ただ、妻の工夫もあって、何とか安定した様子にはなって
おりました。トイレに4時間ごとに起きないとならなくても
二人で対処すればある程度ちゃんと睡眠時間は保てます。
食事も試行錯誤の末に食べてもらえるメニューや切り方を
体得したし、何より週に3日間、ショートステイを利用して
自分達の生活を取り戻せたこともございまして、

余裕がでると、臭かったり汚かったり面倒だったりで嫌に
なっていたことも普通にできるようになったし、
そうすると今ある父親を受け入れられるようになってきて
心穏やかに世話ができるようになりました。
これも自分のこの世での役割なのだろうと思えました。

そんな昨日と変わらない日。
少し違っていたのは、前日にショートステイ先から、
「ちょっと心拍が安定しないから家に戻した方がいい」と
電話があって、家に戻ってもらっていたことくらいです。
介護施設の職員の方々にはすっかりお世話になりましたし、
いいところが近所にあったとうれしく思う次第ですが、
このとき家に戻してくれたのは特別なファインプレーです。
確かにここ暫くは心拍がだいぶ遅かったり速かったりで
何だか目を開けたまま気絶したようになることがあったの
ですが、暫くすると治りましたので、それほど気にかけて
いませんでした。
気絶したようになると自分で歩いてくれないので、とても
1人ではトイレや食事につれて歩けず困ってはいましたが、
「ちょっと待てば治る」と要領がわかって、何とかなると
思っていました。

それでも心拍が安定しないのは危なっかしくて困るので、
「明日は見てもらっている先生のところに連れて行こう」
ということで私もその日は会社を休んでおりました。

朝もトイレに起きてもらったのですが、とりあえず歩いて
いましたが最後のところで自分では足が動かなくなって、
何とか座らせましたが、目を開けて気絶の様子でしたが
待ってたら治って話もしましたのでそのまま用を済ませて
もらいました。

水もいるかと聞いて、いると答えたので水を飲んでもらい
またつれて帰ってベットに寝かせました。
ちゃんと自分で歩いていたのですが。水も飲んだのですが。

朝ごはんまで私は隣の部屋でソファーに転がってブログや
facebookをチェックしていました。毎日1枚写真
を載せるMy365に葛西臨海公園で撮った椿の実の写真
を載せていました。

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その間に父の心臓は打つことを止めていました。

朝ごはんのために起こしにいったところ、とても静かで、
「良く寝ているから少しごはんは遅くしようか」と思い
ましたが、悪い方の可能性もいつも考えていたので、
いつもそうしていたように寝息を確認してみましたが、
何の音もしませんでした。
顔に触れてみましたところ、十分に温かく、
「だいじょうぶなのか」とも思いましたが、
心音を聞くと、音がしませんでした。

「おじいちゃんがおかしいぞ。息をしていない。」と
伝え、救急車を呼びました。
電話で「心臓マッサージができますか」とのことを言われ
心臓マッサージを始めました。うちは夫婦共に講習を受け
ていましたのでやり方はわかっていました。
それなら、心臓が止まっているようだと確認したらすぐに
声かけや気道確保をしてすぐ心臓マッサージを始めるはず
だったのですが、そこは2人とも言われるまで気がつかず
にいました。それでもすぐ電話したので5分もなかったと
思います。

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まあ、そういう日もあるだろうと思っていましたが、
想像していたのは違っていて、呼吸が止まったり倒れたりした後に
救急車で運ばる途中で蘇生して、意識は戻らず病院で寝た切りで
何日かか何年かを過ごすのだと思っていました。
でも、実際には、蘇生することはありませんでした。

薬や気力で歩いたりしゃべったりはさせられていたのかも
しれませんが、本来の自然の姿であればもうおしまいの
時期だったのかと思います。
時計が止まる時のように、少しだけ動いたり止まりそうに
なったりした後、コトリと心臓は止まったのかと思います。

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その後は救急車が来て、
息を吹き返すことはないままに病院に運ばれ、
(「蘇生を望みますか?」と聞かれました。
 「はい」と答えるのを一瞬戸惑ったのは、
 何でそんなことを聞くのかわからなかったから)
救急車には同乗は1人ということだったので、
私が自分の車で病院に行くことにしました。
うちの奥さんは「とても運転できない」と言うので。
私が車を出そうとしたとき隣の家のおばさんと目が
合いました。うわさ好き、おしゃべり好きのおばさんで
すのでどうしたものかなと思いましたが、救急車に乗った
ところは見られているわけだし、
「父が運ばれた。息はしていなかった」と言いましたら、
「気をつけて行きな。こういう時は気をつけないとだめだ」
とものすごい真剣な顔で言ってくれました。
知ってたけど、いいおばさんです。

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集中治療室の先生は若い女の先生でした。
テレビの医療番組の主人公でも負けるくらいの美人でした。
うちの奥さんと「すごい美人だったよね」と霊安室で話し
ました。

霊安室前で警察にいろいろ聞かれました。
ジャンパーのポケットには「捜査一課」の文字。
家で死んだ時は一応事件として捜査をするそうですね。
2時間半ほど、入れ替わり立ち代わりで3回くらい別の
人に同じことを聞かれた気がします。矛盾がないことを
確認するためなのでしょう。
生命保険をかけていたかとかも聞かれました。
たぶん、そこで妙に怒ったりすると怪しいのでしょう。
私は病院に残っていましたが、家の方も亡くなった場所の
確認とかもあり、ベットを指差した写真を撮られたそうです。
「お父様は何年生まれですか?」とか「本籍住所は」とか、
「何年前からいっしょに暮らしていますか?」と聞かれて、
後で葬儀や市役所での手続きの練習になりました。
その後何度もそれを話す機会がありました。

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「お父様は何をされていた方ですか?」と聞かれた時、
久しぶりに「父は眼鏡を商っておりました。眼鏡商です」
と思い出して言いました。

このところはただの年寄りという扱いだったから。

いろいろ忘れていたことを思い出していました。

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キタノオドリコ

めがね屋さんだったのですね、お父様。大往生だったのだと思います。
私の祖母が亡くなったのも10月でした。
アオスジアゲハの飛翔、美しいです。
by キタノオドリコ (2012-11-23 07:34) 

Silvermac

お父様の最後は大往生でしたね。長い間ご苦労様でした。
by Silvermac (2012-11-23 10:24) 

psvt.abl

雨のしずくが美しいですね。
by psvt.abl (2012-11-23 11:19) 

めもてる

お家でお亡くなりになると、大変なんですね、自分の両親の亡くなった、時のことを思い出しました。二人とも病院でした。
by めもてる (2012-11-23 11:44) 

ねこじたん

お父様のこと たくさん思いだしちゃいますね
意外にイイ人だったのねって 思えたりします
体調崩さないようにですよ~
by ねこじたん (2012-11-23 14:22) 

okko

何とも言葉もありません。自宅で亡くなられると、いろいろと調べられるのですね、さぞかし不愉快な気分を味わわれたこととお察しいたします。
忘れられない2012年の10月でしたね。次回オフ会も欠席で、残念です。
by okko (2012-11-23 14:27) 

ナツパパ

老齢の両親と一緒に住む身としては、春分さんのお話は
我が身のことのように感じられました。
お父様のご冥福を、改めてお祈りいたします。
by ナツパパ (2012-11-23 14:40) 

招き猫

綺麗なお写真を拝見しながら春分さんの独白を聞いているようでした。
お父様が亡くなられてからまだ日も浅いので、お父様がお家にいらっしゃらないことが実感できないのでしょうか。
私もとうに夫と私の両親を見送りましたが、自分の気持ちを口に出して、文に書いてみることは大切だと思います。
ご自愛くださいませ、旅立たれたお父様のためにも。

by 招き猫 (2012-11-23 15:16) 

絵瑠

こんばんは。
此の度は御愁傷様でした。
心より御冥福をお祈り申し上げます。
by 絵瑠 (2012-11-23 21:34) 

びっけ

ご愁傷さまでございました。
苦しむことなく安らかに逝かれたのですね。
晩年の最期の時間まで、春分さんご家族と一緒に過ごせたことは、きっとお父さまにとって嬉しいことだったでしょうね。
心より、ご冥福をお祈りいたします。

by びっけ (2012-11-24 09:25) 

mimimomo

こんばんはーー
10月はお忙しい月だったようですね~
向寒の折、ご自愛くださいませ。
改めて、お父様のご冥福をお祈りいたします。

本来人は自宅で亡くなるのが理想だと常々思っておりますが、
最近では自宅で亡くなると犯罪を疑われるのか、我家の筋向いの方が
亡くなられた時は救急車にパトカー二台くらい来まして、ご近所隣を警察官が訪問して回られました。色々その家の様子を聞くために・・・
驚きました。わたくしも自宅で死にたいものだと思っておりますが、息子や夫に迷惑?と思ってしまいます。
by mimimomo (2012-11-24 19:58) 

ハギマシコ

これを読みながら同居していた主人の母の事を思い出しました。
朝胸が痛いというので救急車で大病院に行きました。タクシーはいやだというので救急車で行ったのですが、、その時は異常を発見されずに
痛み止めなど処方され家に帰りました。しかし、その日の夜30分くらいの
間に心臓発作を起こしたのでしょう、、たまたま私も茶の間にいなくて2F
でパソコンを見ていました。主人が帰ってきて居間で母が変だと、、、。
過ぎ救急車を呼んで、、、、、春分様と同じような経過を辿りました。
でも、その週までお稽古やダンスして、元気でいた母でしたので、、、
ある意味HAPPYな人でした。
春分様のお父様に念仏X10回、合掌。
by ハギマシコ (2012-11-24 20:57) 

albireo

あの十二神将は、小さいけれどなかなかかっこいいですね。
飛んでいる、アオスジアゲハも、素晴らしいです。

先日、TVの番組で、畳の上で家族に看取られて亡くなると言うことに就いての特集のようなものを見ました。
それは、昔からの理想的な臨終の姿だと思いますが、その時の死亡の届け出はどうするのだろうと、父親と話していました。
やはり、捜査一課の捜査があるのですか・・・
更に、mimimomo さんのコメントを拝見して、そこまでする場合もあるのかと、再び驚きました。
本当に、色々と大変なことでしたね。
改めて、御父上のご冥福をお祈り申し上げます。
by albireo (2012-11-24 21:49) 

春分

キタノオドリコさん、
> 私の祖母が亡くなったのも10月でした。
季節的にはいいですね。花がいっぱいだから。
うちの祖母が亡くなった時は年末で、花はは閉まってて菊の花は軒並みつぼみで。
本人的には信心深く徳が高いとの思いはあったようなのですが、なかなかうまい
ことにはならないようです。


お父様の最後は大往生でしたね。長い間ご苦労様でした。
by Silvermac (2012-11-23 10:24)

psvt.ablさん、
> 雨のしずくが美しいですね。
雨のしずくはいつも美しい。悲しく見えるのは気の迷い。時々迷うわけですが。

めもてるさん、
> お家でお亡くなりになると、大変なんですね、自分の両親の亡くなった、
> 時のことを思い出しました。二人とも病院でした。
うちの祖父母も病院で逝きましたし、実際80%くらいが病院で亡くなるそうで
(昨今は自宅より介護施設でという人も増えていて多いでしょうね)。

ねこじたんさん、
> お父様のこと たくさん思いだしちゃいますね
> 意外にイイ人だったのねって 思えたりします
亡くなる1、2週間前に、ショートステイ先の施設でご飯を食べた後に、
突然、「みなさん、お世話して頂いたありがとう」とスピーチしていたそうで、
その辺は、悟るところがあったのでしょう。しっかりした収め方ではあるな。
長男とその嫁にはそういうことは言わないで逝ったけども。

> 体調崩さないようにですよ~
オフ会までは元気でいるようにします。近頃血圧が高いようではあるのだが。
撮影会はどうしますかね。六儀園の紅葉ライトアップと言うのはどうかな。
相当混むのだろうけどもね。

okkoさん、
> 何とも言葉もありません。自宅で亡くなられると、いろいろと調べられるのですね、
> さぞかし不愉快な気分を味わわれたこととお察しいたします。
代わりに怒って下さってありがとうございます。
ですが、私は驚いたことはいくつかありましたが、怒ってはおりません。
救急隊員も警察官も、丁寧すぎるくらい心電図計の説明をしてくれた女医さんも
誰も悪くないのだし。保険金詐欺やクレーマーが悪いわけだけど、それさえも
あまり気にしていませんでした。何だか運命と思って受け入れてました。

> 忘れられない2012年の10月でしたね。次回オフ会も欠席で、残念です。
それはとても残念です。次はいつかなー。また幹事をしないとだめかなー。

ナツパパさん、
> 老齢の両親と一緒に住む身としては、春分さんのお話は
> 我が身のことのように感じられました。
備忘録ですが、少しどなたかの参考になればと思い書いてます。
まだ書いてませんでしたが、葬儀社の共済会に入っておくと葬儀代は3割引です。
親の死を待っているようで避けてましたが無駄に高いお金を払う必要はないですし。
私も今回はだめでしたが、次回(たぶん自分の)のため葬儀後に契約しました。

招き猫さん、
> 綺麗なお写真を拝見しながら春分さんの独白を聞いているようでした。
そんな感じをねらいましたので、してやったりです。

> お父様が亡くなられてからまだ日も浅いので、お父様がお家にいらっしゃらない
> ことが実感できないのでしょうか。
きわめて冷静ながら、まだ夜中に物音がした気がして耳をそばだてたりしていました。
運動に出かけ血圧を測ったらだいぶ高かったし、案外冷静でもないのかもしれません。

絵瑠さん、
> 心より御冥福をお祈り申し上げます。
ありがとうございます。
まずは親のことですのでやるべきことができたとホッとしたという面もあるのですが、
次は普通なら自分か妻かだと考えもしました。それは大変なことだなと思います。
絵瑠さんもたいへんだったろうなと思いました。

びっけさん、
> 晩年の最期の時間まで、春分さんご家族と一緒に過ごせたことは、きっとお父さま
> にとって嬉しいことだったでしょうね。
そう思えるといいのですが、それはたぶん違ってましたね。
あんまり楽しそうではなかったです。でも年を取るとはそんなものなのでしょう。
そう思ってあきらめてくれてたならいいのだけども。そうでもなかったなー。

mimimomoさん、
> 最近では自宅で亡くなると犯罪を疑われるのか、我家の筋向いの方が
> 亡くなられた時は救急車にパトカー二台くらい来まして、ご近所隣を
> 警察官が訪問して回られました。色々その家の様子を聞くために・・・
警察の失敗や医療の失敗をあげつらったりする人もいますからね。
十分に証拠を残すのでしょう。

> わたくしも自宅で死にたいものだと思っておりますが、息子や夫に迷惑?と思ってしまいます。
私の場合は、迷惑と言うことはなかったです。葬儀とかもいろいろありましたが
そっちも何だかやらせてもらえるのはありがたい感じでした。
やるべきことをきちんとやろうと思って、そこそこできたかなと思えるのは幸福なことです。

ハギマシコさん、
> これを読みながら同居していた主人の母の事を思い出しました。
ハギマシコさんは愚痴や泣き言を言ったりなさらないからわかりませんが、
責任ある大人はいろいろありますでしょうね。
いつもありがたいコメントをありがとうございます。
自分だけではないと思えることで安堵できることもありますしね。

albireoさん、
> やはり、捜査一課の捜査があるのですか・・・
私は何かテレビドラマのようだなとずいぶんと冷静に状況を見ていました。
家で亡くなると届出は3日以内だったかと思いますが、その辺りは専門家
達(警察と病院と葬儀屋さんと)が何もかもやってくれますね。
とは言え、葬儀のこと市役所での手続き、銀行の出納金の関係とか色々
ありましたし、時間が許せばそこも書いておこうかと思っています。
そんなものかとわかっておけば後の皆さんの役にたちそうですし。

by 春分 (2012-11-24 22:37) 

nyan

銀の球の中に、春分さんを探してしまったよ。
by nyan (2012-11-25 01:43) 

me-co

記事を見て、数年前D病院で身内を亡くしたことを思い出しました・・・
警察にいろいろ聞かれたこととか蘇生を尋ねられたこととか。
おそらく、いろいろな思いが錯綜したと思いますが、冷静にきちんと看取りましたね。
御尊父様の御冥福をお祈り申し上げます。
by me-co (2012-11-25 10:02) 

barbermama

私も還暦を過ぎていつどのように逝くのか考えます。
母は4日間だけ病院にいて71歳で亡くなりました。
春分さんがお父様を自宅で看取られたのをうらやましいと思う反面
今、自宅で死ぬとこういう面倒が待っているのかと思うと
医者嫌いの私ですが、少し考えてしまいます。
また勉強させてください。


by barbermama (2012-11-25 19:44) 

きまじめさん

美術館内の撮影はやはりデジタル一眼なのですね。
フィルムカメラでは、どうにもなりませんでした。目的によって使い分けなくては。
御自宅でなくなった場合、かかりつけ医師がいらしても臨終に間に合わないと
色々面倒があるのですね。心しておきたいと思います。
事後の様々なお手続き、ほぼ片付かれましたか。
お疲れになられたことと存じます。
御父上様のご冥福をかさねてお祈り申し上げます。
そしてご家族の皆様、お疲れの出るころ、お体お気をつけてお過ごしくださいませ。
by きまじめさん (2012-11-25 21:21) 

はてみ

十二神将は、ライブをしているカッコイイ男の子たちみたいに見えます。
アオスジアゲハの吻がくるんとしているのがわかっていい。
自宅で医師なしで亡くなった場合、警察が入るというのは当然知っていましたが、殺人が疑われるケースというのはまれでしょうし、向こうも淡々と事務的にこなすのだろうと想像していましたが、そういうものですよね?
私は家に警察が来るわずらわしさがあっても、父には最後を家で過ごしてほしかったなあと思いましたので。
by はてみ (2012-11-26 23:44) 

ミヤ

春分さんも奥さまも、よく頑張られたのですね。
舅のときを思い出しました。
by ミヤ (2012-11-27 22:03) 

春分

nyanさん、
> 銀の球の中に、春分さんを探してしまったよ。
「写ってないぞ、エドガー」 いや、特に意味はないです。
写ってないつもりでしたが、見ると写ってますね。

me-coさん、
> おそらく、いろいろな思いが錯綜したと思いますが、~
それが、事件があるとシンプルに考えるようになるばかりで。
後で反芻はしますけどね。

barbermamaさん、
> 私も還暦を過ぎていつどのように逝くのか考えます。
私はまだちょっとありますが、若いから大丈夫と言うことはないし
百まで生きるなら60歳からまだ40年ありますしね。
私もでも考えています。
熊に一撃で倒されるのが理想ですが、なかなかそうは行かないでしょう。

きまじめさん、
> 美術館内の撮影はやはりデジタル一眼なのですね。
そこはもう間違いなく。

はてみさん、
> 十二神将は、ライブをしているカッコイイ男の子たちみたいに見えます。
そんな感じだな。

ミヤさん、
> 春分さんも奥さまも、よく頑張られたのですね。
あんまりがんばってないですが、先が見えないのと段々悪くなる状況は
いいものではないですね。気持ちが晴れない感じはありましたかね。

by 春分 (2012-12-01 14:50) 

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